一頭のロバが、二つの干し草の山を前にして思い悩んでいる。その二つは、そのロバからそれぞれ等距離にあり、量もまったく同じだ。ロバはどちらを選ぶこともできず、飢え死にしかかっている。これは「完璧に論理的なロバ」を風刺した古い哲学的なジョークだ。14世紀フランスの神学者ジャン・ビュリダンの作で別名「ピュリダンのロバ」と言われている。高性能のAIにこれを判断させてもシステムが完璧であればあるほど、重量、距離、風速などを精密に計算尽くして決断できない結果となるかも知れない。このエピソードの示唆するところは、意識や情報に重みづけ(バイアス)が無いと決断できないケースが現れるということだ。或いは人間も意識にバイアス(好き嫌い)があった方が早く決断出来るという事であり、人の学習においてはバイアスがあった方が学習スピードが速くなるという事も実証されている。
人の「好き嫌い」というのは不思議な現象だと昔から感じていた。各人各様、好きなものは好き嫌いなものは嫌いであり、理屈では無く生来人の基本的な生理として組み込まれている。かの芥川龍之介は「運命とは性格である。」との名言を残したそうだが、人は好き嫌いで生きていると言っても過言ではない。「そんなことはない。私は論理的に判断している」と言う方もいて、決して論理的な思考を否定している訳ではないが、現代では、好き嫌いこそが人間の発展に重要な働きをしていた事が次第に明らかになって来た。そもそも男女それぞれの好き嫌いが無いと子孫が作れないし、ある集団を形成しないと繁栄出来ない。では人は論理的判断に向いていないのだろうか?
イギリスのマインドアップル社社長アンディ・ギブソン氏による研究では、人は直観的判断(自動システム分野)と論理的判断(被制御システム分野)の二つを縦横無尽に使いこなして活動している、と言う。前者に好き嫌いが属し、ビジネスで求められる論理的な判断は後者に当たる。しかし、意識は後者ばかりに時間を費やすとストレスを感じ機能は低下して来て、前者の直観的判断に身を委ねてしまう傾向があるそうだ。意識やマインドの世界は深淵でまだ未開拓な分野だが興味は尽きない。
それにしても、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いという事がこの歳になってますます明確になってきた。困ったものである。
最近のコメント