最近うちのオフィスでは、何かあるとちょっとした美味しいものを買い揃えておき、小さなお祝い会をする事が定例化しつつある。私は完璧を目指し自分や人のあら探しをてしまう悪しき傾向がある。完璧などというものは本来ない訳なのだが。だだ同じことを笑ってやっても目を釣り上げながらやっても、大して結果は変わらない事、またチームプレイでギスギスするのはむしろ逆効果である事が最近理解出来るようになって来た。「運命とは性格だ」とは芥川龍之介の名言であるが、良いところを数えて生きるのと、悪いところを数えて生きるのとは、「生き方のスタイル」として対極にあり、結果としてかなり違った人生になることは容易に想像出来る。
もともと人生は悲喜交々だ。良い事と悪い事がタペストリーの様に絡み織りなしている。ただ、何か良い事があった時、間髪を入れず「小さな喜びを祝う」習慣を持つ事は悪いことでは無い。間を置くとその間に残念な事が起きて、祝う気分になれなくなる事があるという理由が一つ。その他に、良い事も悪い事も「ひと区切り」して前に進むきっかけを得られること。すなわち何より「良かったな」という感触を先に得て、その後に起こりうる不運に備えられるというのが二つ。最後に「小さな喜びを見出す」のはかなり注意していないと気付かないケースが多い。これは「徳」に関連する能力と言っても良い。これを磨くことが人を磨くことにも繋がる様な気がする。実はこの点が大きいのかも知れない。人は、Unluckyは記憶に残るが、Luckyはすぐ忘れてしまうものらしい。確かにゴルフでもLuckyのことは忘れてUnluckyばかり嘆いている。最近も日本のローカルな勤務地が自分に合わないという方がいたが、日本国内の恵まれた環境に居られる事の幸せの実感は、海外の僻地などに赴任してみないと分からないのかも知れない。自分の仕事のやり甲斐や様々な環境を含め「我々は満更でもない」ということを、日々確認しながら生きる、これはこれでなかなか示唆に富む考え方かと思う。
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