2024パリオリンピックが花盛りである。各種競技を見ていて痛感することがある。世界ランキング1位で世界選手権を何連覇してきている期待の星(アスリート)でも、オリンピックの本番では思わぬ番狂わせがある、という事だ。どんなにスキルやノウハウが優れていても、観客のいる本番の舞台でどうパフォーマンスすべきか?は難しい問題で、この永遠のテーマについて書かれたのが、室町時代の猿楽氏世阿弥の著作「風姿花伝」である。その中の有名なくだりが、「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず、となり。この分け目を知ること、肝要の花なり。」の一説である。
私は、「秘すれば花」の意味を、何事も全部晒してしまうと魅力が無くなり、秘する部分が必要である程度に解釈していた。ところが原文や対訳を吟味すると、以下の様な内容であった。「人に感謝されたり、感動を与えたり、やる気を醸成したり、人が人に「させる」と言う感覚や行動を手軽に考えてはいけない。どれ程の技術やスキル、能力があっても、それのみで人をどうにか出来ると考えるのは、とんでもない勘違いである。それほど人は馬鹿ではない。人の驚きや意外性を演出したり、絶妙なタイミングを計ってこその披露する技術やスキルであり、それが無ければすぐ飽きられてしまう。技術やスキル、ノウハウには、人にどう見せるかという「秘められた知恵」がセットに含まれるべきであり、それが人々の本当の感動を呼び起こす。人に感動をもたらす知恵を「花」と呼ぶ。」という主旨であった。芸術、芸能によって人の心を掴む奥義が語られている。
最近、「風姿花伝」は広くマーケティングや人の教育、ビジネスの理(ことわり)に至るまで述べた現代にも通ずる実務書である、との評価が高まっていると聞く。政治家の演説やビジネス上のプレゼンでも、人と人との付き合いに至るまで、どう仕掛けて意外性や驚きを演出するか、という「花」の部分を軽視してはならず、それを確立出来たらそれを代々の秘密として口外してはならないと、世阿弥は説いているのである。オリンピック選手も、奥義の花を理解し、人への意外性や驚きをどう演出するか、まで考え抜けば、ひょっとして人前で舞い上がっている暇はなくなり、プロの演者に徹することが出来るのかも知れない。
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