それぞれの人生の節目、節目で、人は「やるべきこと」をやらざるを得ない状況に追い込まれる。学生時代の受験や学級委員、スポーツクラブの大会出場関連、就職の選択、結婚(あるいは離婚)、子供の教育とその進路の決定、中堅管理職としての社内での葛藤、転職における職業の選択、親の介護や死別、自身の老後の準備など、本当に引っ切り無しである。昔から疑問に思っていた事がある。「やるべきこととやりたいこと」の選択である。
これは日常の些細なことでも頻繁に発生し、その都度判断して我々は生きている。特に物事の分別が付く年頃以降には本当にやるべき厄介な問題が多い。好きな趣味をやる場合、我々はほぼやりたいことをやっている。従って時が経つのを忘れ、精神の自由度と達成感を感ずる。やるべきことで自分や周囲を追い詰めてゆくと大体結果は思わしくない。人間は本当に重要な選択をする際、例えば子供の将来や自身の職業の選択の場合を考えると、むしろ「やるべきことではなく、やりたいこと」をと言う選択になる傾向があるらしい。現代は情報過多の時代なので、周囲の雑音で自分の心の声を聴く機会がかなり減ってきており、世間体でやるべきことをやっている方々も多いかも知れない。
ある本に、人の情報処理の99%は無意識下で判断されており、せいぜい1%程度が意識下で行われている。ところが重要な判断となると、1%の意識下で処理しようとするので、強いストレスがかかりオーバーヒート気味になり、間違った判断をしてしまう事も多いそうである。さて、自分のよい歳になってまだビジネスを続けているのだが、立場上、やるべきことをやって生きて来た感があり、いっそのこと「やりたいこと」をやって残りの人生を過ごすのも悪くないのではないか、と考えている最中である。
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