1 エピローグ
中部銀次郎という伝説的なアマチュアゴルファーがいる。その著書に「もっと深く、もっと楽しく」という名著があり、アマチュア精神とゴルフ道を語っている。その本の写真家 立木義弘氏が撮った中部氏の美しいアドレス姿に、何度も見惚れたものである。私のゴルフ歴は長いが、なかなか上達しない。ただ、年老いても何とか平均85を切りたいものだ。人それぞれのレベルや環境に応じたゴルフの目標なり楽しみ方があると思う。ゴルフ談義を書くのは「禁じ手」なのだが、私同様忙しく上手くなりきれないアマチュアゴルファー諸兄と、素人なりのゴルフ感を密かにシェアしたいという気持ちがある。それが、とうとう我慢が出来なくなってしまった。
「ゴルフの特質」
止まっている球を打つのは簡単に思える。しかし球の慣性を利用出来ず、ゼロ状態から方向と力のベクトルを与えるのは、意外に難しい。仕事も新たに何かを始め、転がすのには方向性と「えいっ」と立ち上げる力が必要だ。同じである。また、対戦する相手はコースという自然環境であり、人ではない。ミスの原因は全て自分だ。自分自身で動力を与えショットを放ち、ミスの責任を他人に押し付けることが出来ない。ゴルフが自分のミスと向き合うゲームであると言われる由縁た。従って、ミスを少なくし如何に再現性のあるショットを続けるかだが、3秒に満たないスウィングの中では調整出来ないことが多い。従ってスウィングそのものよりも、その前の準備段階が重要であることが、30年経って分かったのである、
2 技術編
「準備段階」
ゴルフの技術論は、50%が準備段階のグリップ、アドレス、ポスチャーの動かない三点に集約され、そこで「スピード」と「軸」と「方向性」の土台が作られる。特にグリップは重要だ。クラブと体の唯一の接点であり、方向性は勿論だがヘッドスピードにも深く関連している事を最近知った。あとの50%がスウィング論という訳である。と言うのも、ボールを扱うスポーツの中では最も飛距離のでる競技であり、振れ幅が大きくクラブの芯でボールの芯を撃ち抜く(ミート率)事が肝心である。従ってぶれない軸と方向性が鍵となるのである。
「振られる腕」
スウィング論は「振られる腕」をどう実践するかの一点に絞って練習している。どうしても自分から「打ちにいって」飛距離と正確性の双方を犠牲にしてしまう。飛距離はクラブが勝手に飛ばしてくれる筈なのだが、何しろ14本もクラブの種類がある。クラブ毎の飛距離を安定させ把握しないと、ピンなど狙うどころではない。これもゴルフという競技を難しくしている要因である。
「振られる腕」とは、背骨の軸を終始保ったまま、下半身のリードに腕が引っ張られている中でインパクトを迎え、一気に通過してフィニッシュまで振り切られている状態を指す。「振る」のではなく、腰のリードと回転で「振られる」のである。常に身体の自然な回転を腕が先行しない、という原則がある。
「勘違い」
ただ、スウィングは大事だが、ゴルフのぶれは準備段階の三点に起因するものが大半で、この三点のどれかのミスをスウィングで修正しようとすることが、多くのアマチュアの上達を阻んでいるらしい。あと一つ補足するとすれば、トップスウィングからダウンスウィングに切り返す際の、「リズム」と言うか「間」である。
3 精神編
「風格のゴルフ」
さて、ゴルフの精神論は奥が深くまだ分からないことが多い。昔、サンフランシスコのNapa Valleyで、ある著名なIT企業家とゴルフしたことがある。70歳後半だったが凛としていて、礼儀正しく皆に細やかな心配りも忘れない。良くても悪くても淡々としている。コースのど真ん中を颯爽と静かに歩いてゆく様は、「枯れた風格」がありとても格好が良かった。結果、ベスグロを取られたのにも恐れ入ったが、ベスグロスピーチが素晴らしく、同伴者のプレーぶりを詳細に覚えていらして、思い遣りに溢れた臨場感のある解説に感銘を受けた。本来、少ない打数でカップに入れるゲームなのだが、それ以外に目標にすべき「風格のゴルフ」というものがある、と目を開かれた。
「スウィング論は25%」
今、私の楽しみは、自覚出来る体力や気力の衰えと折り合いをつけながら、当時の平均スコアを下回ることだ。それにはハードの技術面とソフト面のコースマネジメント、またゴルフに対する考え方を磨く必要がある。ゴルフ全体から見ると、技術面が50%、ソフト面が50%ということである、従ってスウィング論は、技術面の中の50%と仮定すれば、全体の50%x50%=25%に過ぎない。25%に凌ぎを削ってスウィングのみの練習してもなかなか上達しない。コースに出ていろいろ考えないと駄目なのである。月一ゴルファーが上手くならないのは道理である。
「考える時間が長い」
メンタルなスポーツだと言われる。他のスポーツと大きく異なるのは、ワンラウンド5時間ほどの中で、ボールを打っている正味時間は、一打3秒としても100打で300秒、5分に満たない。5分÷300分=1.66% 従って、残りの98%は歩きながら何かしら考えている。考える時間が長過ぎ、全て自分の責任という競技の性格は、競技者を必要以上にメンタルにさせる。
「大人の遊び」
シングルさんは、技術もさる事ながら「考え方」がシングルなのである。自分を冷徹に見つめ、その時々に応じた「自分なりのゲームプラン」を作るソフトウェア部分がシングル級という意味である。私のレベルのゴルフでも、たまに難コースの18ホールが「小さな人生」を体験した様な疲労感を伴うことがある。コースの設計者の意図が分かるに連れ、足りない技術でどう攻略するかに頭と心を砕くのである。こういう「心技体」をフルに動員せねばならない戦いを終えた時、疲れはするが不思議な充実感がある。大人の遊びとは本来こういうものだな、と思う。
「ゴルフは人を創る?」
こんなエピソードがある。40前後でゴルフを始め、2年間コーチについて見違えるような進歩を遂げた方がいる。何よりも驚いたのは、どちらかと言うとSelfishで思い込みの激しい気性が、2年間で何と言うか「味のある大人」に変身されたのである。ゴルフのお陰だと本人は笑っているが、そういう面がゴルフにはある。更に言うと、その方のレッスンに同席する機会が多く、私自身が確実に上達していることに最近気付かされた。初心者のミスをプロが修正して行く一つ一つの過程に立ち会い、進歩するプロセスをつぶさに見ることが出来た。自分ならどう教えるか、という新しいテーマを与えられ、考えさせられたのが大きいと思う。人のレッスンを見ているだけなのに、腕前が上がった。本当に何が功を奏するかわからない。
「老いとゴルフ」
若い頃はパワーで誤魔化すことも出来るが、体力、気力が衰え始めると、基本に立ち返ってスウィングを見直す必要がある。無理なスウィングは身体を痛め長続きしないからだ。最近もグリップが根本的に間違っていた事を知った。フィンガーグリップが出来ていなかったのである。考え方やゴルフに対する姿勢も総点検が必要だ。私は短気なので、各ホールでの運不運に対して過敏に反応しがちであった。自分の不運に対して「片目をつぶってやり過ごす」という発想を学んだのは、実はゴルフからである。これは、実生活やビジネスにも大きな教訓となった。
先輩から「いいから、止めとけ!」と言われた、本来禁じ手のゴルフ談義を長々と書いてしまった。お恥ずかしい限りだが、ゴルフは実に奥が深く、まだまだ飽きることがない。・・・もっと深く、もっと楽しく。
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