世の中は「職業の選択」で溢れている。リクルーター側が職業の選択を煽動する風潮が蔓延し、社会に根付いてしまった感がある。職業の選択が軽い。
職業や仕事とは、本来、過去数百年或いは一世紀に亘り連綿と築かれ鍛錬されて来たもので、現在の自分の持てるスキルレベルと比較して選択する様なものでは無い、ましてレストランのメニューの様にハンバーグかパスタかを選ぶ様なものでは無い。過去の経営者には独自の世界を切り開いてきた人物が数多く存在する様に、職業のジャンルを問わず、ビジネス、芸能、スポーツ、職人など、日々の鍛錬、創意工夫、反復訓練によって磨かれ、そのジャンルの師匠を超えた時、自分独自の「道」や「型」(Style)を習得する。
職業とは、この様に半生を掛けて従事するものだ。近代の大企業の出現と共に仕事が分業化し、第一線の生産や販売以外の間接業務や戦略業務を担うホワイトカラーという知的労働者が出現した。昨今自分の築いてきたスキルと「幾つかの分業化された仕事」を見比べて職業というよりは「一部の仕事を選択する」「自分のスキルを切り崩して転職する」といったケースが多いように見受けられる。本来、職業に選択されるのはむしろ我々側である。聖職のジャンルに入るものには決してこの手の人物にはなってもらっては困る、という職業も存在する。長年人材サービスの仕事に携わり、未だ自分が半製品であるという謙虚な自覚が必要かと思う。
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