このビジネスに身を投じて10年余りになる。
多分5000人を超える30代、40代、50代の方々とお付合いさせて頂き、そのBefore Afterを身近で拝見させて頂くという、恐らく非常に特殊な環境に身を置いていて、以前から気になっていた話題がある。
故事に言われる
・30にして立つ
・40にして惑わず
・50にして天命を知る・・・
というのが、仕事なり人生の区切りという意味で、またキャリア形成という意味で、どれほど今の世の中にも読み替えることのできるものなのか?という事である。
最近、過去読んだ書物に偶然触れ、奥にしまっていたこの話題を気付かされた。自分の考えがまだあらあらでも、一度書いてみようという気持ちになった。何故なら、それぞれの年代でこの種の悩みが多い事をお聞きするからである。その著者は、ローマ史の権力者の盛衰を中心に荘大な書物を完成された。そこからのユニークな経営者論、リーダー論は定評があり、20年に亘り読者を惹きつけ、日本へメッセージを発信され続けている。氏の提言されている幾つかの命題に沿って、小職の実感を含め検証を加えられればと思う。(女性の場合、環境要因が男性に比べ少々複雑な為、この著者は男性に絞って叙述している。)
<命題1>30にして「立つ」とは決めることであり、40にして「惑わず」とは、ただ単にそれを進めることである。
30代のうちはそれぞれ迷って良いが、30代のうちに、朧げながら自分の賭ける仕事のイメージが作れるよう、質量ともに充実した生活を送る必要がある、と説く。 これは、実は重要な意味を含んでおり示唆的である。30代の若さとエネルギーで質量ともに自分をストレッチし、物量でいうなら恐らく「生涯で一番働いた」という様な実感のある30代を過ごせて初めて、「立つ」仕事が見えてくる、という事かと思う。その蓄積があって、40代で惑わずそれを「推し進める」という心境になるのであろう。逆に言うと、30代で心身共に精一杯ストレッチせず、余裕で仕事をこなしているレベルでは、どんなに優秀な人材であっても開花しない、あるいは、「その人なりの与えられた人生を充分に生きていない」という事になる。30代でそんな仕事に恵まれた方は辛くても頑張り抜く価値があるし、そうでない方は、一念発起してもっとチャレンジできる環境に身を置く必要がある、という事である。
<命題2>40代になってまだ迷っていることは良くない。40歳という年齢は人生にとって、「幸、不幸」を決める節目である。
30代で立つとしても、30代の中ではまだあちこちぶつかりながら、迷いながらで良く、それが自然体である。しかし、40代に入ってもなお迷っている事はよくない。自分の進むべき道を見つけていないから迷いが生ずる。「それを進むことによって自分の能力が充分に発揮され、他からも認められるという確たる自信」が持てないのだから、迷わずに進む勇気が生まれてこない状態である。これは不幸である、と説く。Agreeである。特に40代の中盤以降になってまだ迷っている方がいるが、「心、技、体」の三拍子が揃った時期の中盤に入って全力投球できる仕事が見つからないのはまずい。多くの人々は「心、技、体」の三拍子が揃う時期が人生の中のほんの限られた時間であることを忘れがちである。丁度この時期に大きな勝負できる様に我々を設計した、大いなる自然の摂理に反しているのでは?とも考えられる。ここで勝負しないで一体いつ勝負しようというのか?摂理に逆らってうまく行く道理がないのではないだろうか?
<命題3>40代でこの立場をもてなかった者は、ほとんどオシマイなのである。
40代で望みのかなえられなかった男は、50代、60代になったら希望がもてるかというと、まったくそうではないところが悲しい。不幸は不幸を呼ぶというが、そのほとんどがもうオシマイなのである。そして反対に、40代でそれを得た男は、50代も60代も、その勢いでおしていくことになるから、幸せな男と不幸な男の差は、ますます開くことになる。と説く。・・・なるほど。これを読んだ当時は自分も30代中盤に入ったところであり、「ひやっ」とした鮮やかな記憶が蘇る。これは大変厳しい指摘であるが、かなりAgreeというのが、現在の心境である。オシマイという事はないとは思うが・・・世間でいう成功という概念や、地位や年収や仕事や趣味に拘わらず、これは言えるかもしれない。こう言ってしまうと身も蓋もないが・・・やはりそれに近いのである。
<命題4>40代になると一目みて少し話をすれば、その人の成功、不成功の見当がつく。
その人から醸し出される「ある雰囲気」でわかる、と説く。人をお世話する立場としては、常にこういう眼を持ちたいものだ、と思っているのだが、これがなかなか判らない・・・というのが実感である。但し、成功する人に共通した外見上の特質があることは認めることが出来る。(必要十分条件ではないのだが・・・)
①エネルギーレベルが高く、タフに見える。(何でも喰える、どこでも寝むれる。)
②独特の明るさを持っている。(くよくよしない。)
③執着心が強そうである。(②と矛盾する様でいて矛盾しないのである。決して諦めないが、結論が出たものにくよくよ悩まない。)
④話していて、自己を客観視する習慣が身についている。(常に、広い世間の一流水準と自分を比較し、自分を虚ろにする事が出来る。)
⑤常に自分の言葉で話すことが出来る。話が面白く、スタイルがある。
<命題5>50にして天命を知る、とは?
これに関しては、氏の発言は無いので私見を述べてみる。40代で「この仕事で生きよう!」と思ったことを、ひたすら10年近く邁進する中でぼんやりと見えてくるものがあるとすると、これに近い感覚である。すなわち、「世間が仕事のやり方を要求する」のであって、自分の為に仕事がある訳ではない、「誰かがやらなければならない仕事」があり、自分をそれをサポートさせて頂いている一員である・・・という感覚を持つと、この仕事が自分に向いているか否か、などとは言っていられなくなる訳である。氏はそれに類することを、「責務」と呼んでいる。そういう感覚は重要で、世間の自分に対する評価の浮き沈みや、様々な試練に出合った時、粛々と仕事をこなす原動力になる。何故、50代なのか・・・だが、これは実感として判る様な気がする。「いろいろな事象がひとつに繋がって来て、そうだったのか・・・」という事が、正解かどうかは別にして、確かに50を超える辺りから自分にも芽生えてきた。「ユーリカ!」という事が多い年代かと思う。これは多分、若い時の比べて明らかに失うものが多い年代になって、初めて味わう感覚なのではないだろうか?皮肉ではあるが・・・
<命題6>その人がその人になりきることによって、魅力的になり、普遍性を帯びる。
私は氏のこの様な表現が好きである。簡潔な言葉で表す内容には深く考えさせられる。「個性的」ということと、「普遍性」あるいはグローバルに通用するものとの微妙な関係である。それぞれの仕事の特質を深く掘り下げてゆくこと、その仕事が世間から求められているものを探求しようとすること・・・こういう姿勢を感じられる人は、かなりの確率で成功するし、幸せになるのだろう。マニュアル化、標準化など(あまり好きな言葉ではないが)、標準的なセオリーをまず座学で学んで身につけようとする傾向が強いが、それは話が逆である。仕事の個性を深堀りすることによって、自分なりのあるセオリー(普遍性)を得るのである。従って、セオリーやテンプレートの重要性は認めるとして、それをまねるのではなく、テンプレートや「自分なりの独自のセオリー」そのものが出来てしまうのが自然であり、それが世間の標準のセオリーに照らしてみて、やはりそうだなぁ、と感ずることが「ものの順序」であって、そこに仕事の本質が隠されている様に思う。
成功する人々は、まず、その仕事を徹底的に深堀りするという作業を通じて、その人なりのセオリーを獲得し、それを次の機会に活かす、ということを繰り返すことによって、より個性的になり、その人ならではの仕事範囲を広げてゆく。これが結果的に普遍性を帯び、成功に結びついてしまうのだろう
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