当人が考えている自分のイメージと、現実に見えているものにはギャップがある。身近な例として、自分の声や自分の顔の見え方は、他人からのものと異なる。尊敬する先輩から貴重なアドバイスを貰っても、そのアドバイスを実行する姿は、アドバイザーのイメージとは異なる。かと言って、ギャップを埋める為に、始終自分を撮影して、その画像を見ながら生活することは出来ない。そのギャップを認識して、客観的な視点を持つ事は重要である。それが無いと進歩や改善は覚束ない。
女優は自分の見せ方が分かってくると、女優らしい所作、喋り方、身のこなしが出来る様になり、人気女優に駆け上がってゆく。そうすると顔まで変わってゆく。客観的な視点を持っているのだ。人から見られるビジネスに携わっている方々は、その道のプロのアドバイスもあり、見え方を研究しているので、比較的にこの手の罠に陥りにくい。多くの芸術家が世間に認められるのに時間を要するのは、それらのギャップを埋めるのに時間が掛かっているのが一つ、もう一つは、そこから一流になる為の、独自の洞察力を身に付けるのは個人によって差があり、時間を掛けても必ずしも身につくとは限らないこと、の二つが影響しているのではないか、と想像する。
クライアントへのサービスも同様である。サービスする側はこんなに奉仕していると思っていても、クライアントには当然だと映っているかも知れない。クライアントの問題解決の糸口となる様な独自の洞察が、クライアントの然るべき人物に刺されば、クライアント評価も一変する。
何故この様なギャップが起きるのだろうか?私は昔から不思議に思っていた。我々から見て、こんなに教養があり、頭が切れ、人柄の良い人でさえ、思い込みや勘違いがあるのである。一つには、「人は自分の思い込んだ様にしか見られない、或いは生きられない」動物であることが一つの要因ではないかと思う。
人の基本的な価値観は思春期には大方完成していて、その間での具体的な体験、読書量、家庭も含めた教育や環境などでほぼ固まってしまう。それ以降の時代は実際の人生でそれを検証し納得したり、大きなギャップに遭遇して挫折したりする。価値観が一変する様な余程の原体験があるか、人生の師と呼べる方からの貴重なアドバイスでもない限り、「自分の見たい様にしか見ない」普通の大人に成長してゆく。
人の「こうと思い込む」力は思いの外強烈である。過去の宗教戦争も凄惨を極めるケースが多いのは周知の通りである。紀元前の人々と現代人が精神的には成長していない様に見えるのも、それぞれの人の思い込みから逃れ難い事が起因している。一方で、思い込みから脱し、独自の深い洞察に至り、人類に新たな進歩をもたらす人材が稀に登場する事もまた事実である。
趣味の話になるが、このコロナ下のリモートワークでゴルフの朝練が日課となった。考えて見れば、膨大な日本のゴルフ人口の中でシングルさんはほぼ1割に満たず5〜7%程度である。これはゴルフというスポーツが、「自分がこうと思った」スウィングと、実際の体の動きにかなりのギャップがあるのが一つ、またゴルフの指導者のアドバイスと本人の受け取り方にギャップがある事が一つ、いわゆる二重のギャップに阻まれているので、なかなか素人は上達しない。一方で、プロは皆、美しいスウィングをしている。ただ、それは前提条件に過ぎず、自分の独自のゴルフ感を持たないと試合には勝てない。第一段階では客観的な視点を持ち自分の技術を磨くこと、第二段階では、独自の洞察を持ち、自分なりのゲームプランを持つことが必要となる。
小職に限らず、不思議とこの様な基本的な事に気付くのが壮年から晩年に掛けて(55歳前後から)であり遅すぎるのも、歴史的に人の精神的成長が遅々として進まない証左となっているのが、皮肉であり、残念でもある。
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