私は「笑う」ことはあるが、「笑顔」でいる事が少ない。いや笑顔を作ることも苦手である。コロナ禍でその傾向は益々強まっている。最近の電車の乗客で笑顔でいる人はとんと見かけなくなった。数十年前、欧州に何度か旅に出た時の経験が未だに記憶に焼き付いている。フランスのTGVに乗り込んだ際、一列空けたはす向かい席の金髪のマダムがこちらを見てニッコリとほほ笑んだ。日本でその様な目に会った事がなく、最初はどきまぎしたものである。単に私はあなたの敵ではないですよ、という表現としてスマイルする文化がある事を知った。
最近、リモートワークも一般化し、画面の中で特に顔を含め上半身のみ映っている状態でのコミュニケーションが多くなった。最初は、画面に対して顔を下から写されている滑稽な状態もあったが、大分皆さん慣れて来た様だ。相手方に思わず自分の顔が大写しにされているケースもあり、通常のコミュニケーションでは身体の所作や身なりなどの一部としての顔があったが、かなり顔が主役に押し出されて来た。従って、仏頂面をしているのと、心地よく笑顔でいられるのでは、全く印象が異なってしまう。私などは注意が必要である。
私は職業柄、人の顔の表情を観察したり、顔からその人の人生の一部を読み取ったりする機会が多く、顔には自然と興味が行ってしまう。人の笑顔を研究したり、写真で良い笑顔があると素人のデッサンだが模写したりもする。昔のヒッチコックの「顔」という映画で、顔の半分が多少違う顔の人物の苦痛を描いたものがあり、怖かったのを覚えている。人生の荒波を経て、「愁眉を開く」という表現が適切かどうか分からないが、何か達観した様な清々しいお顔になる方がいて、一目で信頼がおける。笑顔は人間特有のものという説と、そうではない説があり、後者によると猿が力のある者に媚びへつらうしぐさが笑顔の原点だと言う。それから発展して、人の笑顔は多様である。非常に美しい笑顔と普通の笑顔、傲慢な笑顔、卑屈な笑顔、悲しい笑顔など様々である。
無表情な人もいる。私は、「モジリアーニの女」が昔から好きで、古い話だが、ハイファイセットの歌手山本潤子さんの歌でその絵の存在を知った。「♪モジリアーニの女、悲しい目をして俯いているわ、まるで人生を覗くように。昔の私なら何も気付かず通り過ぎたけれど今は、心止まる、きっと・・・♬」と続く歌詞・メロディーラインと、モジリアーニの女のイメージが見事に重なりあうのだ。昔、一般的には美しい人なのだが、笑うと泣いた様な顔になる女性がいて、あまり見かけないこともあり、興味を抱いたことがある。どの様な事があってその様になったのだろう。その方と10年ほどして再会した。歳を経てしわは多少増えたが、地味のある優しい良い笑顔になられていた。何がその方の人生と笑顔を磨いたのだろう。嬉しく思うと同時に胸を突かれた。
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