養老孟司著、「一番大切なこと」を再読し改めて考えさせられた。都会人の「ああすれば、こうなる」的な発想では、自然のシステムは理解出来ない。自然の複雑なシステムを壊すのは容易い。しかし、元通りにすることば人間には出来ない。細胞一つさえ人は作ることが出来ない・・・。氏は解剖学の権威だが、元々昆虫の研究者であり、人体や自然のシステムに関し、斬新でユニークなメッセージを発信されて来た。
「ああすれば、こうなる」と、すべてを単純化して捉えることが出来ればずいぶん楽だが、我々を取り巻く世界はもっと複雑であり、人間が起こした事がどう転がってゆくか、必ずしも予測がつかない。地球の歴史の中の新参者である人間の脳は、そんな複雑さを捉え切れず、予測の付かなさを許容することもできなければ、それに備えておくことも覚束ない。我々は、その事を十分に知っておく必要がある、と言う。
確かに、自然の環境が左右するゴルフやロードバイクなどのスポーツでは予測不能な事が多く、自分の技術やゲームマネジメントの他に、自然にどう対抗するかではなく、どう折り合いをつけて身を処するか?という技量が問われるのは分かり易い。プラネット バウンダリーという言葉を最近聞くことがある。ガイヤ説で地球を一つの生き物と捉え、ある一定以上外部から破壊されると、恒常性を発揮して元に戻ろうとする作用を言う。様々な事象がすべてが緊密に繋がって、「ああすれば、こうなる」という飽くことの無い人間の浅はかさに、鋭い警告を発している様だ。
我々がクライアントから受ける外部からの経営幹部の補充依頼も、近年大きく変化して来た。かつては求人仕様に基づき人材探索するやり方だったが、この時代の変遷期に、企業ビジョンや方向性が不透明となり、求人仕様が明確に描けない状態での依頼が多い。どういう人材を組織の何処に嵌め込めば、狙う企業変革が起こせるのかを、誰も明言する事は出来ないのである。
従って、我々がクライアントのトップの「壁打ち相手」となり、未来像や求人仕様を共に作成するという作業が必要となる。未来の想定が難しいなら、非常に有能な候補者を発掘し、その特徴に合わせて組織を変革するのも一法だ。しかしながら、最初からそれ程の信頼感を与え得る候補者は非常に少ない。特にニューノーマル下での企業変革の成功者はまだ市場に存在しない、または深く埋もれているからである。
そもそも企業変革や組織改革とは、ああすれば、こうなる、とは行かないものである。然るに、多くの企業が今後のビジネス環境の変化に対応するビジネスモデルが不明確なまま、相変わらず中期三ヵ年計画の数字の達成に躍起となっている。その一方で、先進グローバル企業は企業VisionにSDGsの様な環境保護や人権の尊重のバランスの中で、人が自然と共存するWell Beingというコンセプトを採用し始めている。
養老氏は、自然に触れながら学ぶ必要がある。子供や動植物との付き合いも自然との関わる一部である、と言う。私はこういう変遷機には、大勢の社員を与かり、その舵取りにより社員の幸福を左右する立場の経営者こそ、自然に親しみ、手入れをして、思い通りにはゆかない事を普段から噛み締めておく必要があるのではないか、と思う。
最近のコメント