色気とは何か?艶(つや)である。一言では難しいが、「ある人物や技能に磨きがかかり艶が出てくる。この人を見ていたい、この人と一緒にいたい、または働いてみたい」と思わせる何かであろう。技を磨き艶が出るのだから、ある分野での突出した専門性は大前提になる。昔、「ローマ人の歴史」の著者塩野七生さんがあるエッセイで、色気のある大人の具体例として、元全日本サッカー監督のイビチャ・オシム氏を挙げていた。独特の存在感があり、特に目がいいと言う。頭が良く発言も真相をついている。これはこの人を見ていたい、の範疇だろう。オシム氏の人望は厚く、未だに名試合後にコメントを求められ、鋭く適切な発言をされている。何か抑制が効いていて、かつ滋味に溢れ、弱者への配慮を忘れない。この様な人物が、疲れ果てて少し弱音を漏らす時、色気が匂い立つ様な気がする。
色気とは広義の意味で、必ずしも性的なものには関連しない。すなわち人の所作、立ち振る舞い、存在感、言葉の慎み、身だしなみ、強面に見えても弱者への配慮を忘れない、気骨のある柔軟性、などを含む「色気」を指している。広くは仏像などのものの造形、デザイン全般、人の生き方やスタイルにも及ぶ事がある。
無くて困る訳ではないが、無いと世の中全体が殺伐とする傾向がある。何事も解説し過ぎる。それを言っては元の子もない事も曝け出し憚らない。また、直ぐに解を求めてググり、分かった様な安心感を得ようとする。色気とは言葉にならない何者かであり、余韻を残しておくことに色気の本質がある。その様な物事の機微を解する心と同時に必要なのが、エネルギーレベルの高さである。これは人の好奇心の高さとも密接に関連していて、何事も達観した仙人の様な人には色気を感じないものだ。未知の不思議さを知り、自ら実践を通して泥まみれになる時、時折色気が立ち昇る。
以前にも同じテーマで書いたことがあるが、再度掲げたのは、昨今、世の中全般に色気が無くなりつつあり、それが加速しているように感ずるからだ。私はこの手のことを物言う立場には無いのだが、この職業に長年従事し、リーダー達の色気の大切さを痛感しており、ご容赦頂きたい。特に日本の政治、経済、芸術、学問のリーダー達に、色気が無くなっては困ると思うからだ。日本の場合、多くのリーダー達は、50前後、業界によっては60前後の方々が多く、彼らの健全な色気が日本のこれからを占う一つのバロメーターの様な気がしている。イノベーションや企業成長、企業再生の原動力となるのは、やはりエネルギーレベルであり、それを補強するのがスキルであり、逆ではない。良い面と悪い面とが同居することがあっても、逆境の中での突進力が無ければ話にならないのである。ただ、猪突猛進型のエネルギーレベルではなく、ユーモアがあり気骨のあるリーダーが、時に真理を直言する事も憚らないと言ったスタイルが好ましい。
前期高齢者の仲間入りをしてみて、若い頃には無意識に出来た事が、出来なくなってくることもある。これは致し方ない事だが、老いてなお色気を保つ事に一つの意味がある様な気がする。何故なら老いた美しい男女は、中年層にも若者層にも多大な影響を与えるに違いないからだ。良きにつけ悪きにつけ、彼らは注目の的にはなるだろう。これは経済力とのバランスもあろうから微妙な問題だが、75歳ぐらいまでは誰も働き手として活躍し、豊富な貯蓄を消費する一大勢力になれば、社会にお金が回り始める。年金以外にいくら溜め込まないと老後不安である、というよりは、何歳まで年金のお世話にならず自立して働けるか?を問う色気のあるシニア世代が一人でも増え、お金を使い始めるのが重要である。
私見ではあるが、以前の「色気の10か条」を再度引用させていただく。
1)常に危険やリスクと隣り合わせたあるMissionを持っている。
この点は疑う余地がない。色気は非日常性や不安定感と結びついている。大きなMissionや責任を背中に担いでいて、それによく耐えているところに、色気が立ち上る。
2)元気溌剌に見える時と、疲れて見える時との落差が激しい。
肌がテカテカしている元気な若者よりは、人生の裏表を十分に経験している渋さが欲しい。肌色が落ちると派手な色も似合うようになる。精力的に活動するがふっと疲れを見せた時にこそ色気が立ち上るのである。
3)自分の生きるスタイルを持ち、精神的、経済的に自立している。
この点は重要な要素である。「高い専門性」に裏付けられた、常識に囚われない独自の価値観や美学を持ち、必ずしも損得の価値判断のみでは動かない。漫画のゴルゴ13を想像すると分かり易い。「高い専門性」というのが味噌である。自分のスタイルを創るという事は、現代ではなかなか難しい事だが、高い専門性と研鑽が無いと色気は出てこないのである。昨今の政治家は落選を恐れ言いたい事の言えない秀才堅気が多くなり、自分のスタイルを感ずる政治家が極端に少なくなった。良きにつけ悪しきにつけ、昔の政治家には色気のある方が多かった。
4)善と悪、双方の匂いを身に纏う。
明るい天使の側面と、別の側面を併せ持っている必要がある。何故なら、独自の価値観からの一貫した行動が、時に一般的には悪人に見える事は容易に想像出来るからである。
5)常に秘密の部分を残している。
これも実は重要な要素で、色気のある人物はあまりプライベートを知られていないケースが多い。すべて知ってしまうと飽きてしまうのである。男女関係や人間関係とも酷似している。
6)老け込んではいけない。
男女年齢を問わず「色気」はある訳だが、老け込んではいけない。我々も人を相手にするビジネスの典型だが、老け込んでいる人の御世話にはなりたくないのが心情である。その意味で、ある年齢以上になれば特に身の回りの清潔感や加齢臭に対する注意、最低限の身だしなみが無いと、色気とは程遠いことになる。
7)色気は人の所作に深く関連している。
従って動きが伴って色気が立ち昇る。坂東玉三郎がいい例である。色気をある身体の部位に感ずると言うのは、事実だが少し幼稚な感覚である。
8)声色との関連性がある。
女性のハスキーボイス、男性のしゃがれた声や美しい低音など、声色は人の印象を大きく形作る。人は声色と共に人の印象を覚えているものである。よく久々の同窓会で外見からは全く分からない人が、その声を聴くと懐かしく思い出す事はよくあることだ。
9)やはり「匂い」を持っている。
物理的な匂いも確かにあるが、人物全体から立ち上る「匂い」である。
10)色気を出てしまうもので、出そうと努力するものでは無い。
チョイ悪の親父さんが50歳を超える辺りから若作りして、まだまだ若い!を追求するのは、色気とは少し違う。色気を出そうとしているからである。色気は隠してもはみ出てしまうものなのである。
私見を書き連ねたが、断っておかねばならない事がある。それは余計な色気が全く無くとも、平凡の中の非凡を体現され、淡々と人生を全うされる立派な方々がいるという事実である。
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