そもそも一体何故手帳が必要なのか?PCもスマホもこれだけ発展、普及しているのにである。自分もそれなりに手帳を愛用して来たのだが、そう言われると明快に答えられない。
・手帳の機能
昔、勉強の出来る奴はノートの半分を空白にしていた。当時は何故そうしているのか理解出来なかったが、今となっては成る程そうであったか、とある程度理解出来る。要は、「考える為の空白を残しておく。」これである。ここに手帳の本質がある様な気がする。メモ、備忘録、Things to do. スケジュール管理、アドレスなどどれを取ってもスマホで代替できる。ただ、余白を敢えて作り、背後の関係性を図示したり、見開きの一覧にしたりして、まだ纏まらない考えを行き来し、もう少し深く考える、という事、これがPCやスマホでは非常にやり辛いのである。
・手帳遍歴
昔、憧れのファイロファックスを見よう見真似で使ったが何か私には馴染まず、システム手帳のはしりとなるタイムシステムという分厚い高額手帳を奮発して購入した。色々工夫したのだが、正直これで情報管理が熟達する訳では無かった。余りに重かったので、6年間カバンに携帯した結果、右肩が下がり気味になった。その後、シンプルな能率手帳に乗り換えだのだが、手帳は「能率」を上げる為だけのものでは無い、という事がよく分かった。最近では、罫線の無いクロッキーノートと普通のノートを併用している。不思議と罫線を無くす事で自由な発想が出来る気がする。最近、合目的な要素が強過ぎるシステム手帳のアンチテーゼで人気を博しているのが、「ほぼ日手帳」に代表されるアイデア手帳である。
形態は良く似ているのだが、コンセプトが異なる。なかなか良く考えられていて、何か楽しくなる手帳だ。私は糸井氏の回し者では無いが、優れているのは、仕事でバリバリ使う人々と、プライベートで楽しく使いたい人々の双方のニーズを上手く取り込み、年々使用者の意見を取り入れて進化している点である。神は細部に宿るというが、細部に心憎い配慮が散りばめられている。手帳カバーもカラフルで多様であり、汚れても拭ける合成カバーと革製の双方が選択でき、サイズもA6とA5版が用意されている。
・今再び、手帳と向き合う。
世の中には星の数ほど「手帳の使い方」の指南本があるが、それだけ使い方に多様性が広がっている。もっと自由なツールとして気ままに使えば良いという考え方もある。PCやスマホがこれだけ普及し、色々試したがやはり不便で手帳に戻ったが、さてどう使ったらよいか?という方々もいるだろう。私の場合は、物忘れが酷く真面目に手帳を付けないとビジネスそのものが成り立たない、という事情がある。それと、私自身があまりに合目的に(目的重視で)手帳を使って来た反省があり、そもそもプライベートスケジュールも含めて楽しく時間を工面して仕事と遊びを両立させる道具と考えてみる。むしろその方がパフォーマンスが上がるのではないか?それを試してみたい、という動機がある。
・時間を惜しむ。
年を経て分かって来たことがある。手帳とは効率を上げるとか、集中力を高める為と言うよりは、仕事以外にボーッとしたり、楽しんだり、何か無駄な事をしたりする時間を作る為にあるのでは無いか?ということだ。より良く生きる為に、「時間を惜しむ」ツールという位置付けである。良いアイデアは、考えに考えた後一旦寝かせて、一人旅などのローカル線でボーッとしている時に訪れる事が多い。ピリピリ、キリキリしている状態のままでは、遊びも仕事も「創造」とは無縁である。ただ、思い付いた時点でメモって置かないと、後から思い出せない。その際、言葉のみでなく、そのイメージや関係性を図示しておくと記憶に残す事が出来る。ある情報をデフォルメして絵に描いてみると忘れにくいものだ。
・センスある手帳カバー。
道具好きの私らしい観点だが、使い方の良く練られた手帳を、さり気なく上質な手帳カバーでお洒落に携帯している人を見るのは楽しい。何故なら、手帳を使うことや、時間を惜しむことに重きを置いている事が良く解るからだ。信用できる人かな、という印象もある。60歳を超え時間が益々貴重になってくる様になって、もう一度、気に入った手帳と向き合ってみよう、と思う。
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