シリーズ1 「敢えて人の顰蹙を買う」ということ
-品性と品格について
前回、経営者的人材の基本的土台となる「成熟度ポイント」に関し私見を述べたが、今回からは日頃多くの経営者とお会いする我々の立場として、もう少し内面的なもの、日頃の経営者の行動特性や生き方のスタイルに焦点をあて「普段着の経営者的人材像」を浮き彫りにしてゆければ、と思っている。
昨年末連載された読売新聞主筆 渡邊恒雄氏による日経「私の履歴書」を読まれ考えさせられた方も多いと思う。昭和の番記者にはこの様な人物がいたのかという驚きと、やんちゃではあるが昭和の時代を動かしてきたという強い自負、敢えて不都合な事も赤裸々に告白する率直さ、人の機微を察する人間性への鋭い洞察力など、日頃若干横柄なイメージのこのご老人だが、流石と思わせるものがあった。
さて、今回の話題は、「敢えて人の顰蹙を買う」ことも経営者人材にとって必要な資質の一つではないだろうか、という仮説である。この事自体、品性を汚す印象にも繋がり、副題に「品性と品格について」とつけた。ローマ人の歴史全15巻を書き終えた作家の塩野七生氏が、「リーダーは、仮に品性を犠牲にしても品格を保てば良い」という趣旨をどこかに書かれていたが、同時に思い出される。
「敢えて人の顰蹙を買う」ことに対する抵抗感は誰にもあるだろう。それにどんな価値があるのだろうか?古今東西のリーダー達(政治家、経営者、文士、芸術家、スポーツマン、学者などを含む)に具体的に見られるのか?を検証してみる。チャーチル、吉田茂、田中角栄などの政治家、ホンダ本田宗一郎氏、ユニクロ柳井正氏、味の素江頭邦雄氏、日本電産永守重信氏、ミスミの三枝匡氏などオーナー経営者のほとんど、谷崎潤一郎、川端康成、吉行淳之介、池波正太郎、三島由紀夫などの文士、落合監督、野村監督、新庄選手、青木功選手、尾崎将司選手などのスポーツ選手、個性豊かである仕事を成し遂げているリーダーは枚挙に暇がないが、いずれも一種独特の生き方のスタイルを持っている事に気付かされる。と同時に、一般的通念から見ると、「ちょっと変わり者」である事を超え、確かに少し失礼な事も平気でやる、または言う感じが漂ってくる。
私見では、本来、「品格」は備わる、コントロールして熟成されるという感が強く、「格」には哲学なり、生き方のスタイルなどが色濃く反映している後天的なもの、「品性」は氏、育ち、育ってきた環境が大きく影響していていて、物心つくまでの先天的なもの様なイメージがあるが、たとえ品性のある方でも敢えて品性を汚して、「人の顰蹙を買う」必要があるのだろうか?
一つのエピソードを紹介したいと思う。
これは名も無い小学校の女性教師と生徒の話である。
足に障害を持った園児は親からも親戚からも歴代の担任教師からも大変大事に育てられ、少し過保護気味であった。新任の教師が、いつも運動会の徒競走は欠席するというその生徒に向って、敢えて出席を促す挑発的な発言を学級の皆の前でしてしまった。これが父兄の逆鱗に触れ、強烈なクレームとなり職員室でも大問題になり、結果教師は始末書処分となった。が、その担任教師はその後もその生徒に手紙で出席を説得し続けた。「ここでチャレンジしなければ、一生チャレンジ出来ない人生を送る!」と。その生徒は小さいなりに、先生が自分の将来を思い発言している事は理解していたが、皆の前で走るという勇気が湧かず思い悩んだ。運動会当日、意を決して徒競走に出席、周囲は好奇の目でその生徒を見守った。遅い事は勿論であるが、両足のバランスが取れない為、左右に大きくかしいで地を這っている様な異様な雰囲気なのである。3分の1まで来たところでその生徒は倒れ暫く起き上がらなかった。担当女性教師はすぐさまその生徒に走りより、抱き起こして、涙しながらその生徒と半周同走し一緒にゴールインした。会場は割れんばかりの大拍手に包まれた。という話である。その後この生徒の人生はどうだったのだろうか?ここには、人のリーダーシップの本質が端的に表されている。
さて、最近面談する所謂大企業の経営幹部は上品で「いい人」が多くバランス感覚も優れているのだが、何か足りない。一言でいうと、「人としての色気」のある人が少ない。翻って、最近お会いしたオーナー経営者のほとんどからは、ピーンとした緊張感(何と言うか、退くも地獄、進むも地獄の中で悶々としている感じ)が伝わって来る。過酷な現実に向き合い、リスクを取ってある事を成し遂げるという気概の中で醸成される「色気」がある。勿論、これは経営者に限らず、「色気」のある無しは厳然としてあって、内緒話ではあるが小職がビジネスマンを判断する際のよりどころにしている一つの基準でもある。孤独に深入りし徹底的に自分と向き合う経験なしには獲得できないものだからである。
人を育てる、という場面においても、プロジェクトの渋滞を乗り切る場面においても、顧客との関係性を「一業者」の立場から「Trusted Advisor」へ昇格させる場面に於いても、ビジネスのあらゆる場面で、自分の評判は一時犠牲にしても、敢えて辛い事を成さなければならない場面はあるものである。相手を奮い立たせたい時、あるいは気付かせたい時、敢えて強い表現や行動を取る必要がある場合がある。自分の価値観が揺ぎ無く、信念に根ざしたものであればある程、その傾向は強まるものと思われる。自身の経験でも、かつてMentorと思しき人からそうされた経験があり、その時をターニングポイントとして成長してきた事がそのバックグラウンドにはあるのかもしれない。と同時に、そういうBehaviorを取っても、後々人から許される人徳も兼ね備えている事が多いのは不思議な事実である。単に品性が悪いだけでは話にならない。志と人徳が必要である。これが「品格」なのだろうか?
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