「自分らしくいる。自分でいる。自分を静かに保つ。自分を隠さない。自分でいることに力まない。自分をやたらに誇りもしない。同時に自分だけが被害者のように憐れみも貶めもしない。自分だけが大事と思わない癖をつける。自分を人と比べない。これらはすべて精神の姿勢のいい人の特徴である。」
・・・この目の覚めるような言葉は、作家の曽野綾子氏の言葉である。私はこれを読んで暫く落ち込んでしまった。自分がこれらの指摘する姿勢から程遠い位置にいるからである。残念ながら・・・。
ことごとく逆と言っても良い・・・(笑) 自分を静かに保つことが難しい。自分を隠してしまうし、ある一方で力んでいる。何やかにや言っても自分が大事で、人とすぐ比べたがるのである。確かに理想的にはそうなのだろうし意味するところも理解できる。大人の感覚であり人生の後半にあってこうありたいものだ、とも思う。しかし、果たしてこの様な境地にどれくらいの方々が達することが出来るのだろうか?かなりの人々が「自分らしく」いられない事に苛立っているのではないだろうか?自分らしく淡々と生きている人ばかりならば、精神性という観点で世界はかなりの確率で平和に近づくだろう。
ただ、「自分らしくいる」事はつくづく難しいものだという認識に立つと、ものの見方が一段高度化し複雑化して、少し本質的なものが見えてくる様な気がする。特に「自分だけが大事と思わない癖をつける。自分を他人と比べない。」というくだりは見事である。曽野女史は、「自ら進んで自分に損になる事が行えるかどうか?」という厳しい要求も突き付けてくる。今、日本は損得で生きている様な人々で溢れているではないか。彼女がこういう考えに至ったのは、女史がキリスト教信者であるからだけではなく、彼女が鋭すぎる感性を持ったおかげで、長い人生を通して悩んで来た事柄であろう、という想像がつくから感銘を受ける。
人生にはなかなか思いが届けられない事があり、また善悪では割り切れない事が多くある。しかし、古今東西、人がその「理想を謳う」のはそれが遂げられない故なのか・・・、遂げられないと知ってかつそれを追求するところに価値があるのだろうか、と考えさせられることがある。人権の尊重や人種差別の撤廃、個人の尊重、自由、恒久的な平和(戦争のない時代)などは、その理想が何千年経っても、地域を問わず、決して平等には遂げられない。それが判っていて、それ故にその理想を謳うのではないか・・・。いわゆる確信犯である。人生が思い通りにゆかない事を深く認識した上で、それでも確信犯として理想を掲げ黙々とそれを目指して努力してみる、という抑制の利いた「大人の感覚」である。お恥ずかしいのだが、私は50歳の中盤になってようやくその様な考え方が出来る様になった。
ただ、いま気にかかるのは、マスコミ、メディア、政治家など世論に多大な影響を及ぼす可能性のある立場の人々が、「小さな理想主義」、あるいは「小善」を異句同音に叫んでいる現状である。これを言っておけば「まず安心、あとは自分のせいではない。」という「事なかれ主義」が垣間見える。それ程世の中は単純ではないだろう。またそれを見る世論にも、「何かと言うと過敏に反応し、自分がリスクを負う事は極力さけるが、自分の権利は声高々に叫んで恥じない」という風潮がある。そして何よりも、「自分の身の上に起こった不都合を、すべて他人のせいにする。」という悪しき傾向が最近増々強まっている様に思うのだがどうだろうか?いつ頃からこの様な傾向が我々に芽生えて来たのだろう。日本人の幸福感は世界の36カ国のアンケートの中で23位だそうである。日本人特有の、「恵まれた不幸感」が国際的にみると独特な孤立感を生んでいる、という指摘もある。マスコミは「人の死」や残酷なものには蓋をして極力見せようとはしない。批判が恐いからだ。私見だが、「生存や生命の危機が身近にない事」(今回の大震災もテレビやマスコミの報道で、ブラウン管の向こうのひとごとで、少し時間が経てば記憶から消えてゆく傾向がある。)が大きく影響しているのではないか、と私は考えている。
さて、我々が候補者と面談していると、自分に起こった不運、不都合、失敗などをすべて人や環境のせいにする方を時折だが見かけることがある。会社環境も一つの環境であり、その環境が悪いせいで次の転職を志望している、という訳である。ああ、この方はまだ人間的に熟していらっしゃらないな、と思う。自分をアピールするのに、これまでの成功はすべて自分の手柄、失敗や不都合はすべて他人や環境のせい、と言って「なるほど、なるほど」と頷く人がどれだけいるのだろうか?それよりも、失敗や不都合に遭遇したとき自分はどういう行動を取ったのか、それの何が悪かったのか?何を学んだのか?また、結果は失敗でも、こういう部分は自分の信念としてこれからも貫いてゆこう、などを「自分の言葉」で「具体性と臨場感」を持って淡々とお話頂ければ、まず何よりもその方の人格を信頼する。この仕事をやっていて、私には「人は成功からはあまり学べない。正当な失敗こそが人を成長させる。」という実感がある。
「自分らしく」いることをもっと磨いて、「精神の姿勢」の良い人に少しでも近づいてゆけたらと思う。
最近のコメント