・それをそれと言って憚らない。
美しいものを美しいと言ってはつまらない。美味しいを美味しいと連発する「食べ物」番組のタレントも芸がない。面白い話をしても話し手が笑ってしまっては興醒めである。昨今、それをそれと言って憚らない日本人が増えている。仕事上の書き物も、用件のみの文章が闊歩する世の中になりつつある。思考が扁平になっており、それが社会に奥行きがなくなってきている事に繋がっているのではないかと思う。言葉にならない大切な部分を伝える訓練を積まないと、そう言うスキルは減退してしまうのだが、それを大切だと正面切って発言する人も希少になって来た。
・言葉にならない言葉。
先日、ある番組で、コピーライターの糸井重里氏(70歳)と女優の芦田愛菜さん(14歳)の対談が企画され、興味深く拝見した。かなり難しく微妙な話題を、平易な美しい日本語で、穏やかに話し合われていた。14歳でこのレベルの日本語を大ベテランの前で操れる日本人がいることに、大変勇気付けられた。その中でも言葉にならない言葉の大切さの話が出ていた。
糸井氏によると、言葉にならない言葉に詰まり考え始めた時点で、創作活動は始まっており、凡ゆる閃きの源泉である、との事。安易に言葉にしてしまうと、そこで終了となる傾向があるそうである。ググるという言葉が一般化し、人は何かとWebの検索エンジンを使い、取り敢えずの回答を得る。それで分かった気分になってしまうのが怖いところである。これも人から手間を惜しまず深く考える習慣を奪っている。
・最近感銘したコピー
「便利を享受して人は馬鹿になる」とは、誰の言葉だっただろう?糸井氏もコピーライターから始まった方と聞く。その仕事も言葉をせんじ詰めるかなり骨の折れる職業だろうと想像する。最近のコピーで感心したのは、伊藤忠商事のTV宣伝だ。私の見たのは、ゴマを世界中歩き回り現在パラグアイで調達されている商社マン(通称ゴマ部長)の日常で、現地での活動が生き生きと描かれていた。最後に「一人の商人、無数の使命」というキャッチが現れる。我々が便利に暮らす下支えを、長年商社の専門性を持つ方々が半生を掛けてされていることと、このキャッチの見事さに胸を突かれた。
・言葉を慎む。
最近愛玩犬を預かる経験をし、言葉を持たないものが、これ程に自分の感情を伝え、相手のポテンシャルを引き出す能力を持つことに驚嘆した。犬は接する人間達の優しさを引き出すのである。人間は言葉を持ち文明を発達させたが、文化の蓄積はなかなか難しい課題らしく、一千年前から文化水準は進歩していない様にも思える。「言葉を慎む」という一見風化してしまった表現がある。我々はビジネスシーンで、クライアント、候補者それぞれとお話する機会が多いが、気持ちよく喋ってしまった時は、大抵の場合喋り過ぎていて、結果が思わしくない事が多い。クライアントと意見が全く違う場合や、明らかに先方が思慮足らずの場合も、我々は言葉を慎みそれとなく分かって頂ける様、最大限の努力を惜しまない姿勢が必要で、その中で「言葉にならない言葉」を聞き取るのが我々の専門性であるべきか、と思う。
そう言う自分が、ブログで書きたい事を書かずに書く事が出来ているかどうかは、また別の問題である。
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