私は小学校の頃、図工は苦手でいつも2か3だった。ルーブル美術館に行っても、ここに何日も通って美術を鑑賞するという方々の心情が分からなかった。
しかし、最近見たテレビのドキュメント番組で、経営者がコンセプトをデッサンノートに次々と書き下ろす姿に触発され、6Bの太い芯の入った鉛筆ホルダーとクロッキーノートを購入した。
デッサンという行為に興味を持ったからである。物事の構造を理解するために、対象をよく観察しデッサンする。各構成要素に分解し、それぞれの役割と何故そこにあるのか、その関係性を考える。
デッサンすることは「物事の構造化」そのものであり、考えることの原点だ、ということに気付いたからである。人はものを考える時、ペンをとるという。文字や図形に展開し、考えがある程度まとまると、それを「コンセプト」と呼んだりする。
そして、無形のサービスでビジネスをする比率が高まるほど、コンセプトを顧客の価値に連動させ、理解してもらう重要度が飛躍的に高まるのである。
1 デッサンの対象
デッサンする対象は、実際に見えるTangibleなもの、実際には見えないIntangibleなもの、すなわちコンセプトやビジネスモデル、技術の熟達のプロセスにまで包含している。
クロッキーというデッサン専用ノートは、少しザラザラ感のある白紙のノートで、素早いスケッチのためにある。事務用の罫線入りのノートを使い続けてきた私には、白紙の画用紙は大変新鮮であった。6Bの鉛筆は良く滑り白紙は開放感がある。
ものの本によると、罫線というのは、綺麗に整頓したり直線を書いたりする上では便利だが、人の発想の自由度を制約させる効果を持つという。
私の場合は、もともとコンセプトや概念をまとめるのに、事務用ノートや、パソコンではパワーポイントに書いていたのだが、基本的には記録するため、見映えの良いものを作るためであった。考えたり自由な発想を展開したりするために、ペンを取るのとは目的が異なるのである。
2 対象をよく見る
かつてダビンチは、裸体を精密に描くために、解剖学を学び人体を解剖したという。そういう徹底したデッサンの姿勢が、最近の私には欠けているのではないか、という想いもある。
業界の構造、会社の構造、利益を出す構造や仕組み(ビジネスモデル)、マネジメントの構造、人脈の構造、色気の構造、加齢の構造、スコアメイクの構造などなど。
「目に見えないもの」を、構造化して理解し、物事を捉える訓練をするのは楽しいことだ。また、その構造をデッサンする、すなわち「目に見える形」で頭の中から取り出す作業を繰り返すことは、物事の本質を見抜く訓練でもある。それができると、新たなことやビジネスモデルをデザインするのも夢ではない。
実は、私にとってデザインすることの概念を大きく広げてくれたのは、欧州の「バウハウス」というモダニズム運動から生み出された各種の建造物や作品に触れたのがきっかけだった。バウハウスの基本概念は、装飾的なものや機能を極力排除しシンプルにして、対象の本質や本来の美しさに迫る、という発想である。シンプルで美しい腕時計などはその好例だ。
3 実際に描いてみる
例えば、人の顔を描いてみる。それぞれの部位が正確に描けても、全体のバランスが悪いと全く似ていないものになる。そればかりか、何か気持ちの悪い怪物になってしまうのである。
そもそも自然の造形物は素晴らしいバランスを保っていることが分かる。美形は美形なりに、不細工は不細工なりに、バランスが取れ美しいのである。整形美人が晩年異様に見える★ことがある★のは、自然のバランスが崩れることに起因している。
さて、正確にバランス良く描けたとしよう。そこからさらに精神性や個性を抜き出し少しデフォルメすると、一段と味のあるものになる。対象を外面から内面へと観察する目を育むのにも訓練が必要だ。
4 物を構造化する発想法
そもそも「物事を構造化する」とはなにか?
昔、コンピューターのプログラミングに「ワーニエ法」の呼ばれる構造化プログラミング手法があった。プログラミングはもともと論理的でないとできない。その中でワーニエ法が話題になったのは、論理の筋道が分かりやすいという点だ。職人芸のような独自に作られたプログラムはあとから人が見ても分かりにくい。大きなシステムを作る段になると、大勢が分担して作成するので、構造化しないと難しいと言われたものである。
「論理」をより洗練させると「構造化」となる。
このロジックを追求し、構造化し、結論に導く手法は、建築現場やコンピューターや設備系など、物理や数学や化学のTangibleな世界ではもちろん必要であるが、Intangibleな世界、思考やコンセプト、人の感情の変化の分析などにも当てはまり、近年開発されてきた応用範囲は多岐にわたる。
5 考えを図示する
この「構造化して考える習慣」は意外に重要だ、ということに気付かされる。プレゼンの上手い人と下手な人の本質的な差は、構造化思考ができるか否かに大きく依存するからだ。
人と人とのコミュニケーションや交渉や和解には、多かれ少なかれプレゼンの要素が入っている。パワーポイントを使わなくとも、頭の中で常に構造化する訓練ができている人の話は簡潔で分かりやすい。その方の書く文章もしかりである。
そういう人のプレゼンは図示も含め、大変分かりやすいサイクルの中にある。英語のプレゼンとなると、もともと構造化されている言語なので、分かりやすくなるのは道理である。
プレゼンでパワーポイントを使い、自分の考えを図示する。これには得手不得手があるようだ。図や絵を書くのは上手いのに、このプレゼンは不得手な方もいる。図を描く能力とは別物らしい。論理構成力の問題だ。
特にコンサルティングなどのビジネスでは、目に見えないサービスを提供し価値を出さなければならない。ある考え方を分かりやすい絵にする作業は、ことのほか重要となる。
あるコンサルティング会社のパートナーは、若い頃に先輩から「汗をかけ、恥をかけ、絵をかけ」と言われ続けたと話していた。良い話である。
6 機能は戦略に従う
絵を描くには、ある考えと考えがどう結びつき、階層化なり順序化され、その結果、何を生み出すのか? という「物事を構造化」して考える習慣が必要だ。
それぞれのエレメントが集約型なのか分散型なのか、あるいは連続なのか不連続なのか、階層化なのかそうでないのか、集合体に入るのか、対立軸にあるのか・・・などなどを考えることの習慣である。
★その習慣を身に着けるためには、★日頃、何事に対してもどういう構造なのか興味を持って見つめるのである。世の中、不思議なことで一杯ではないか。子どもの頃、最初に強烈に惹かれたのは、食虫植物だった。「組織は戦略に従う」という言葉があるが、戦略がそのまま形(機能)になっているのである。ある目的を達成するために、どう虫たちを惹きつけ、どう捉えてその後どう消化するのか。その一連のプロセスが理論的に構造化され、適切な形に具現化されている。植物は動けないだけにマーケティングの発想が必要で、ある意味、小売店と似ている。
考えをまとめるのも重要だが、その考えを人に伝えることは思ったほど簡単な作業ではない。1回のプレゼンでの相手の理解度は30%である、というデータもあるようだ。日本人は同族的な意識が強く、「あ、うん」の呼吸で以心伝心するという甘えがある。まして利害の対立したグローバルな環境での勝負となると、「考えをまとめ分かりやすく相手に伝える」という基本技術の重要度はことのほか高く、一層の研鑽の余地があるように思う。
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