1 当たり前と思わない訓練
我々は日々、仕事や仕事仲間、気の置けない友人達、暖かい家族に囲まれて生きている。それはそうと気付かない小さな幸せの場合も多いが、その幸せを当然とは思わない訓練が必要だ。恥ずかしながら、小職は最近までその事を自分事として認識出来なかった。それを分かって現在を粛々と過ごしていらっしゃる諸兄には、何を今更と笑って頂きたい。これは年齢によるものかとも考えたが、そうでも無いらしい。年齢を問わず、分かっている人には分かっている事なのである。
それを分からずに、現状の環境の中でベストを尽くせない人は、私を含めまだまだ半人前である。何故、分かりにくいのだろうか?多分、何かが己に降りかかってみないと、その幸せを実感出来ないからだ。大袈裟かも知れないが、人の世の諸行無常や一期一会は、自分事となると、理解と実感が難しいのだ。
2 社内の変遷
弊社の過去20年間の、社内の人の変遷を見ても明らかである。続けているのは私だけで、ほぼ全員が入れ替わっている。現在の陣容はたまたまご一緒している集団に過ぎない。14年選手が一人、4、5年選手が殆どで、義理堅く出戻り組も3人いるのは有難いことである。特に14年のベテランとは、長年様々な案件をこなして来た。悲喜交々あり感謝しかないのだが、「居ることが当たり前」と慣れてしまうとマンネリ化し会話が少なくなる。やはり、感謝は日頃口に出して表現しておかないと、と反省している。いずれにせよ、あるスパンで見ると「常ならず」は見事に実在している。今ある与えられた環境下でどうベストを尽くすか、をまず考えるべきなのだ。
3 新しいチャレンジ
その上で、同胞と共に、新たなチャレンジを成功させるのは価値ある事だ。それは、それ以前とその後の変化を身を持って体験出来るからである。世の中には、経験知でないと分からない事は多くある。既に与えられた恩恵や利便性や価値は、それを当然と思って、それを創造するに至る過程を想像出来ないケースが多い。使用者側の発想から、創造者側の発想に立てないと本質を見失ってしまう。
4 大きな勘違い
歳のせいなのか、当たり前な事を敢えて書いている。それは失いそうになる前に手当てをしておかないと、平凡な幸せはするっと逃げてしまう傾向を持っているからだ。これに気付けない人は意外に多い。現状を当たり前だと思うのは、考えの浅い勘違いである。たまたまこの時代の、この国の、この地域で、奇跡的にご縁があり、一緒に働いているに過ぎない。人類一万年の歴史の中で、少し時間と場所が異なれば、決して遭遇していない。その様な偶然性の上に辛うじて成り立っているので、いつ如何なる時に別離が訪れるかは誰にも分からない。それが、「常ならず」という意味である。
5 チームの意味
人によっては、だからこそ、特定の人には頼らない、自分の足で立ち、去る者は追わず来る者は拒まず、のポリシーを貫いている方もいる。それも一つの考え方だが、人と人との相互作用や創造力に対して少し無頓着で無理解なような気がする。一人で事を為すよりも、チームで為した方が上級である。何故なら人が育つからだ。事業の継続が担保されるのである。事業の変革と、事業の継続は相矛盾するものではない。長年継続する為には、事業の不断の変革が欠かせない。従ってチーム編成とそのメンバーとの出会いも、縁あって一緒になったという偶然性を考えれば、有難い(通常あることでは無いという意味でも)と思うのが道理である。なかなか、そうはいかないのが現実だが、今あるチームでの最善を目指すのが知恵ある大人の態度というものなのだろう。
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