1言葉の持つ機能:
言葉には意味を伝達し記録する機能と、漠然とした「考え」を明確にしたり、その原義を再考する事で、新たなものを想像する機能がある。後者の機能は、コロンブスの卵の様なものだ。また、それを相手により分かりやすく伝える為に、「形」(造形化)にしたり図示する。コンセプトを造形化した方が頭に残りやすいのである。更により具体的にする為に「映像化」を試みる。
映像化の二面性には注意が必要だ。より分かりやすく具体的になる代わりに、もう疑似体験済みという感覚を与え、相手に行動を促さない作用がある。昨今、映像が溢れていて、自分事ではなく、観客の一部になって傍観してしまう。そういう現象である。行き過ぎた具体化は、相手に考える余地を与えなかったり、深く考えることを阻害する。テレビはその典型だが、繰り返されるCMなどの映像の繰り返しは、知らず知らずに潜在意識に深く入り込む誘導機能がある。右脳の活性化や創作活動には、思索や想像する余韻が必要なのだ。文字や図形にはまだ想像の余地があり、行間を読んだり本を閉じて黙考したり出来る。「考える」為の道具になり得るのである。深く考える事を誘導する。言葉、形、映像は纏めてメディアと呼べるかも知れないが、人への作用は真反対だったりする。
2言葉とコンセプト作りの重要性
ある概念を言葉にする作業は、デザイン分野では古くて新しいテーマである。この作業が甘いと、コンセプトの薄弱な詰めの甘い作品になるという。よく形から描いてしまう方々がいるが、まずは「言葉を煮詰める」のが先だ。形を扱う職業だが、その前段階の言語化する作業が非常に重要らしい。作家や詩人が頭を絞り上げて、言葉を突き詰め、言葉を鍛錬してコンセプトを練り上げ作品にするのとプロセスは同様である。
企業が新たな成長や成熟を目指す。古いビジネスモデルからの脱却を試みる。この際、新たなコンセプトの言葉による鍛錬と凝縮が必須である。しかし、その企業の本来の強みを活かした「自分なりのゲームプラン」にまで戦略が昇華されず、改革が頓挫してしまう企業も多い。これは、企業のビジョンの再定義という大仕事である。方向性によっては企業の盛衰を左右するもので、これはトップの仕事である。但し、言葉の鍛錬や凝縮化、更には新しい企業デザイン(戦略と組織のリデザイン)には専門性が必要であり、最近は信頼出来るビジネスデザイナーとトップと少人数のチームの協業で集中的に行うケースが増えて来ている。
3在りたい姿の言語化が先、形は出来てしまう。
言葉を磨きコンセプトを練り上げ、形や行動やフォームに転化する作業は、芸能やスポーツの世界でも同様である。成りたい姿を言葉に凝縮する。分かり易いゴルフを例に考えてみる。どの様なゴルフをしたいのか?を言語化する。例えば、「無駄のない軸のぶれないショットを続け、コースマネジメントを考え、還暦を過ぎてもしぶとく80台前半でまわる」など。この場合のスウィングとは、形ではなく、如何に状況に応じた確実なショットを積み重ねるか?の再現性に重点が置かれる。再現性とは、どの様なライからも、どの様な天候下でも、どの様な心身の状況からでも、スコアメイクに必要最低限の75%の精度のショットを繰り出すことである。この為には、スウィングそのものというよりも、インパクトの在り方が肝心で、ある方向性に対してスクウェアで長いインパクトゾーンを保持することである。パターもアプローチも同様だ。
こう考えると、スウィング論は、インパクトゾーンをスクウェアに長く保つ為に何が必要か?という事に集約される。テイクバックで出来たコックを出来るだけ解かずに下半身のリードでインパクトを迎え、コックを解きながら左にフォローを振りぬく。その際、軸がぶれなければ必然的に腕が極限まで伸びる大きなフォローになり、インパクトゾーンが長く保たれ、結果的に左足にすべてが体重移動したプロの様な美しいフィニッシュとなってしまう。「なってしまう」、ここが肝心である。形は作るものではなく、ある機能を効率的に果たす為に、そうなってしまうものなのだ。昆虫や食虫植物を見ると、意図が形より先にある事が納得出来る。従って、訳も分からず形の真似をしても上手くはならない、という事になる。
こう書き進めるうちに、自分でもなるほどという感覚(ユーレカ)があるのは不思議である。これこそが、「言葉の力」なのだろう。話が長くなってしまったが、文字に起こして考えるという作業をせずに、形だけ真似をしても意味が無い。これは万象に適用出来る。深く心に刻みたいことの一つである。
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