「煮詰まった鍋を煮詰めても、焦げ付くだけよ。深呼吸すれば、やらねばならぬが、やりたいってなるんじゃない?」
これは、小川 糸作 NHKドラマ「ツバキ文具店」の一場面。代書屋の主人公が、お隣さん(江波杏子さん)から言われるセリフで、手紙で煮詰まっている主人公を鎌倉の「七福神巡り」に連れ出すシーンだ。その行程で主人公はある気付きを得るのである。静かな良いドラマだった。
その通りである。耳の痛い話だ。たとえ焦げ付いても仕事をやった様な気分にはなる。成功しようが失敗しようが、価値を提供出来ようが出来まいかはお構い無し、自己満足で仕事をしている。この様な大人にはなりたくないものだ。白状すると、私には「煮詰まった鍋を煮詰める」傾向があるのである。あるツボにハマると、何事も突き詰め過ぎるきらいがある。真面目なのは良いが、生真面目なのは時に人に迷惑をかけてしまう。何か暑苦しい感じが付きまとう。男女や友人関係では勿論タブーだろう。
年の功もあり、最近は注意していたのだが、あるきっかけでひょっこり顔を出す。これにはあるパターンがあって、周知(と自分では思っている)の共通の目標や価値感に対しお互い努力する際、それを怠っている者を「煮詰めてしまう」習性がある。困ったものである。「ねばならない」症候群とでも名付けようか。人それぞれの価値観があり、同じことを怒りながらやるより、チームで笑いながらやった方が楽しいし生産性も挙がるだろうに。それが出来ない時があるのである。
気分転換をして少し深呼吸をすると、「ねばならないが、やってみよう」に変化する事は確かにある。自分や他人にかけるプレッシャーから解放してあげるのである。ネガティブなプレッシャーから、ポジティブなチャレンジへの変換点である。今までの人生で、この様な転換が出来れば結果は変わっていただろうに、という体験は幾度もある。入学試験、テニスのインターハイ予選、入社面談、米国赴任時代、ゴルフのスクラッチ競技、前職での役員へのプレゼン、この20年の現在の仕事での社員、クライアント及び候補者への対応、家族との付き合い、きりが無い。何と言っても、自分や他人にプレッシャーをかけて頑張るのは、楽しげでないのがよろしくない。
問題は、どの様な気分転換が出来るか?である。そのタイミングとそのジャンルに、その道の熟達者独特の息抜きの方法があるのだろう。趣味、スポーツ、芸能、読書、森林浴、旅に出ること、友人や諸先輩との会話、ボランティアなど、タイムリーに思い切って実行してみることだ。芸能やスポーツ、趣味などは、現業に新たな発想を生み出させる為に存在するのかも知れない。ちまちま考えていると、考え方の振り幅が縮小され、縮小均衡に陥ってしまう。効果的な気分転換に共通するのは、その仕事とは違う方向性で体力も精神力も駆使して、達成感や挫折や感動を覚える事である。人間はなかなか複雑に出来ていて、健常者の場合、単に休んでいても本来のリラックス感が得られない事が多い。
これは、身体や脳の違う分野を活性化する事で、気分転換や新しい発想に辿り着く可能性を示唆している。分かり易く、旅に出ることを例に取ると、考えてみれば思うに任せない事の連続であり、かなりのストレスが掛かるものだ。にも拘らず旅の愛好者は多い。未知の土地や人、食べ物、習慣などに出会い、危険から身を守り緊張感を持って日々を過ごすのである。特に一人旅は疲れる。また、息のあった二人旅も、日頃見せない思わぬ面を見せられたりして、がっかりする事がある。なのに、旅が終わり帰宅すると、快い疲れと共に独特の充実感と学びがあるのである。
難しいのは、そのプロジェクトで煮詰まったその最中に、思い切ったリラックス行動には出にくいという点だろう。性格にもよるが、私などは気が小さくなかなか大胆な行動には出られない。この背景には、本来の意味の「遊び」やリラックスに対する、罪悪感の様なものが潜在的にある様な気がする。発想展開の為に必要であれば、短時間で出来るガス抜きをすべきで、この道の達人達は、その自分なりの方法論を確立している。
これは想像だが、ガス抜きをしている最中でも、そのプロジェクトの課題は潜在意識の中にグツグツとして存在しており、何かのキッカケで、「あっ、そうか」と思わぬ方向に繋がることがあるに違いない。この辺は、人の潜在意識の未知のパワーである。また、人が自分で頑張って生きているようで、実は何か大いなるものに生かされている事の証左でもある。
追記:
偶然にも、女優の江波杏子さんが亡くなられたという。ご冥福をお祈りします。
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