この言葉に最初に出会ったのは、数年前の哲学者の故池田晶子氏のエッセイだったかと思う。複雑な問いや大きな課題を解決する際、自分の出来る解り易い部分に分けて、一つ一つ解を段階的に積み上げてゆくプロセスの大切さを指摘しているが、「分かる」という原義は「分ける」から来ている、というものだ。大きなものを理解し自分のものにするには、大きなゴールをそのまま理解しようとせず、自分の手に負えるサイズに分解して理解を深めてみる、これがポイントである。考えてみれば、分かるという体験は不思議である。煮詰まっている状態にある光明が差し込み、バラバラに点在していたものがある一点に結集して、すーっと全体像が把握出来るのだ。分かった感覚の中には、勘違いが8割ぐらいはあるものの、本当に分かった時の気持ちの良さは格別である。
例えば、ゴルフスイングの真髄を体得する為には、幾つかのスイングの部品に分け、最も自分が取り組み易いものを徹底的に反復練習し、マスターしてしまう事が肝要である。その後その次の分野へとstep by stepで進める。あれもこれもに手を出して、一つの基礎動作さえ出来ないと積み重ねが出来ないので、全体としてはなかなか上達しない。片山晋呉プロが、25年間30ヤードのサンドウエッジのアプローチを飽きる事なく反復練習していたのは有名な話である。
最近あるデザイナーの方に出会い、啓発を受けた。その方から久しぶりに、分かるとは分けること、と言う言葉を聞いたのである。デザイナーさんは、連続的な閃きが必要な息の詰まる様な仕事かと思っていたが、意外にも泥臭い仕事の連続であり、如何に「良い問い」を起こせるかが勝負だと仰っていた。昨今、良い問いを立てること、いわゆる課題設定の重要性が高まっている。特にグローバルにダイナミックに変化する環境では、ビジネス課題も複雑になっており、本質的な課題を見つけられれば、その課題に対する解決策に集中出来る。海外では企業再生の為の高度に戦略的なコンセプトリーダー役に有能なデザイナーがアサインされる事が一般化している。その波は日本にも上陸しつつあり、「もの」ではなく「こと」のデザイン、組織やビジネスモデル、ひいては、原発の廃炉問題などの社会課題、すぐには目に見えない「こと」の再デザインによるイノベーションに重点が移っている様だ。
Digital Transformationの様な大きなプロジェクトの成功は、その企業にとって手に負える大きさまで、プロジェクトを幾つかに分解することから始まる。まず、ある限られた領域でsmall successを達成する。あれもこれもはダメで、まず一点突破である。それが社内外で認められたら、組織内やパートナー関連に横展開して、顧客や関連各部からの更なるfeedbackを受け、プロトタイピング方式でブラッシュアップしてゆくのである。20年近くこのビジネスに身を置いてみて、優秀な方々は皆そうしている。
「生き方のデザイン」も当然重要なテーマである。ある著名なショコラティエ職人が、「人生の重要な局面で、自分の天職を真っ当する為に、何を捨てる事が出来るか?が問われる。その選択により、時代を超えて通用する普遍的な作品に昇華してゆくかどうかが決まる」という意味の事を仰っていた。なかなか出来ない事だが、重い言葉である。
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