・プロローグ
一年余りブログが書けなかった。実は時代も私自身も変わり目であり、60台、70台をどう働き続けるか、への自分なりの回答を探していたのである。
まだ答えはないが、生命科学分野での目覚ましい進展で、人体に関する様々な知見も深まり、新たな方向性も考えられそうである。かなり個人差のある領域なので一律には語れないが、我々も含め生き物すべては、ある一定期間で滅びてゆく様にプログラムされており、如何に滅びてゆくか?は共通の課題かと思う。ただ知恵を絞り、そのプログラムの進行を少々(10年や20年)遅らせることは可能であろう。多くの動物は死期を悟ると独りになって静かに最期を迎える。人はバタバタするが、死ぬまで精神修行の必要な動物だと思えばそれも止む無しである。滅びはネガティヴなだけではない。老けて滅んでゆくのにも相応の意味がある。例えば50歳を過ぎた頃からブログを書く様になったのは、「物事の意味の表裏や連鎖」が多少なりとも理解出来る様になって来たからである。
・実質年齢
現代人はひと昔前の人と比べ、実質年齢は七掛けという記事に出くわした。65歳なら45歳という事で、それはいささか大袈裟だ。逆に成人になるのも10歳遅れている様に見えるのは皮肉である。実際10歳程度として、75歳まで働くのは、昔で言うと65歳である。これを自分の現実になぞらえ考えると、心、技、体の衰えをやり過ごしながらバランスを取る必要がある。順序としては、体→心→技の順で衰えるのではないか、と私は思う。
体力と気力は密接な関係性がある。気力の伴わない仕事を通して、結果的に技量が衰えるという連鎖である。技術はあるのにやり抜く事が出来ない現象だ。従って、ある技術を持っていても、体と心を鍛えないと、技術そのものも維持出来ないという事である。また、若い頃と同様の集中度で仕事をこなそうとしても無理があり、心、技、体の各レベルに応じた仕事の仕方、遊びの仕方をを工夫する必要もある。すなわち、体力の衰えを防ぐと同時に、心を柔軟にして技量でカバーする様な仕事の仕方が理想的だ。このバランスを見事に体現している方々には心から敬意を表するが、誰でも出来る事ではない。
60歳前後の方々の中には、まだまだ若い者には負けぬ、と本気で考えていて、心、技、体の衰えを認めない。現にドライバーの飛距離などは若い頃と変わらないと豪語する。一方で、60歳初頭で再就職が叶わず若年寄りの様な年金生活を送っている人々も存在する。これらは双方、我々の陥りがちな罠だと私は思う。過不足ない自分を冷静に見つめて、「自分の持てる能力を使い切る」という発想と努力が必要だ。でないと、新しい力が生まれず、75歳や80歳まで現役で働き、遊び続ける事は難しい。
・潰しが効かないホワイトカラー
60歳を過ぎ、仕事の潰しが利くかどうかを職業柄で観てみると、職人や高度な専門職には、75歳を過ぎてなお溌剌として活躍されている方々が多い。問題は一般職のホワイトカラーである。高度成長時代に、日本では有史以来初めてホワイトカラーという労働力が誕生したと言われる。生産者でも専門職でも経営者でもない中間管理職である。多くは分業化した大会社に存在するが、仕事の最初から最後まで、いわゆるEND TO ENDの経験が少なく、60歳以降新しい事を始めようとした時、潰しが効かない。
自分の仕事はここまでと区切って、相応の見返りを得る事は一般的に難しい。どの様なビジネスも、顧客と業者さん或いはパートナー企業との間に立ち、如何に付加価値を創造しキャッシュを蓄積するか、そのキャッシュを次の投資に振り向け如何に事業を継続させるか、には変わりがない。ある規模になると分業化して価値連鎖の結果を顧客に届ける事になる。この一部だけを経験していても仕事の潰しは効かないのである。また、大企業の部長までやった自分が、何故この様な事までやらなければならないのか?という心情的な問題もある。再就職の面接で、専門性を問われた候補者が、「大企業の部長だったら出来る」と答えた、という笑うに笑えない話がある。
・半独立のすすめ
特に大企業一筋で働いて来た方は、60歳になる前に一度小企業を経験するか、独立に近い経験をしておいた方が賢明である。言わば「半独立」である。一般的に60歳以降は、独立事業主か、小組織が緩やかに連携してゆくビジネス形態になるからである。半独立で60歳以降の準備をしておくのだ。何事もハンズオンでやる訓練になり、小組織なので、必然的にValue Chainの連続性の中で幾つかを兼務せざるを得ないので、顧客が我々の給料を払っている、ということが実感出来る。何より顧客に価値提供をし、その見返りをキャッシュという形で受取り、それを積み上げることを体得することだ。メンタルの独立も重要だ。頼りきっている会社や家族や環境、または既成の思い込みから、一旦独立する気概が大切だ。持ちつ持たれつが現実なのだが、何事も自分でやってみる習慣が身につく。実際には、親の介護の問題や様々なプライベートの難問も対応せねばならないかも知れない。その意味でも、時間的に制約を一旦解き放ち、半独立をする必要があるのである。
・フィジカルとメンタル
アンチエイジングが大流行りである。大半が外見重視の対処法だが、同時にメンタルや頭のトレーニングも必要だ。平たく言えば、外見が若返っても、中身がボケていては話にならないからである。意外にもこの様な当たり前な事に理解や興味を示さない方々は多い。若く見えるのは善、老けて見えるのは悪、という二極化された単純思考である。ただ認知症予防のテクニックには過敏である。実はフィジカルのメンテナンスについて、私はある一定の考え方は出来たのだが、メンタル(頭の回転や精神のタフネス)については、まだ見通しが利かないのである。
・本当の遊びと仕事は等価である。
メンタルのタフネスは、どの様に形成されるのだろうか?勿論、精神論や忍耐力も必要だが、体力の衰えは忍耐力も減退させる。そこで我々凡人には何らかの生き甲斐や没頭出来る楽しみの様なものが、添加剤として必要なのではないか?と最近考えている。その楽しみがあれば耐えられる、という様なものだ。更に言えば、遊びと仕事は等価であるべきだと思う。それらの楽しみは、海外旅行、学術、芸術方面の追求、犬の飼育、マラソン、全国の仏像巡り、ロードパイクのコレクションやスポーツドライビングだったりする。出来れば、頭脳も体力も技量も総動員して、時間を忘れて没頭出来ることであれは尚良い。それが夫婦で出来るのなら更に素晴らしい。「本当の遊び」とは、心、技、体を総動員して取り組み、成功と挫折を味わうものである、とはある作家の言葉である。この為にも、60歳以降は、心、技、体を鍛え直しておかねばならないのである。
・どうお金を使い切るか?
人はお金を貯める事には熱心だが、そのお金をどう使うかについては、意外にも真剣に考えていない様に見える。何故なら、取り敢えず貯蓄して使わないという膨大な金融資産を持つ高年齢者が年金生活をしていて、若い人々にお金が還流しないのが、現代日本の不名誉な特徴だからである。これらの金は、死後重い相続税を課されるか、引継ぎ手がいなければ国庫に入る金である。悪しき流れを逆転させるイノベーションは誰が開発するのだろう。お金の流れが様変わりし、ビジネスが活気を帯びる。どう仕事をするかと、どう遊ぶかは、「如何に面白く工夫するか」という意味でも、「経済の流れを作る」という意味でも等価なのだ。頭と体を使って、どうお金を稼ぎどう有効に使うかを真剣に考える時期に来ている。その覚悟が無いと、60歳以降を面白く生き生きと生活する事は難しいのではないか、と思っている。
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