「ひとかどの個性」といったら良いのだろうか?その人ならではの強烈な存在感の様なもの・・・、これについて書いてみたい。世間で「ひとかどの人物」と言われている方々からは、個性全面が立ち上がって来る感を受ける。黙っていてもだ。昔、写真家の立木氏が、古今東西の俳優、政治家、財界、学者、スポーツ選手などを、白黒写真のポートレートにして発表したことがある。それぞれに個性の立ちあがった良い写真で、流石に鋭い切り取り方をするものだな、と感心した事を覚えている。最近では、NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」に登場した、歌舞伎の板東玉三郎氏が出色だった。静かで美しい強烈な存在感。毎日365日厭きもせず型の反復練習をして舞台に上がっているのである。何か使命感にとり憑かれている様な迫力があった。我々がお会いする経営者や候補者の中にも、明らかな存在感を示している方がいる。お会いして3分間の中で、人物全体から湧き上がるその存在感は部屋中一杯に広がって行く。これは世界どこの国へ行っても通用する静かな強烈な個性である。如何にして、それが形成され醸成されてゆくのか?私は、このことに興味がある。
「個性」や「個人的資質」、「好み」「嗜好」などが、一体どの様に形成されるのか?これは不思議というより他はない。我々は職業柄、人に会うことの飽くなき繰り返しである。その中で、「個性」というものの不思議さによく突き当たる。哲学的には「自分とは何か?」は永遠のテーマであるが、その領域には踏み込まぬ事として、最近読み返してみた本の中で重要なヒントがあった。
その本は、外山滋比古著の「ちょっとした勉強のコツ」だ。氏は複雑なことを簡潔に分かり易く述べる達人で、いつも感心する。常に本質的にはどうか、という事を考え続けているに違いない。「個性」、もう少し広げて「心を育む」という事は、どうも「小脳」の果たす役割と重要な関係があるそうである。「大脳」と「小脳」の役割分担は以前から気になってはいたが、従来の認識を一挙に覆された。
大脳神経系一辺倒で発達してきた脳の概念は、近年、あらたな小脳の働きの発見により活性化したといわれている。大脳は「形式知(言語知)」を小脳は「暗黙知」を担当する。「形式知(言語知)」は座学のジャンルの知識である。「暗黙知」とは、繰り返しにより体で覚える知であり、運動機能のみならず、技術者のノウハウの様な「匠の技」を司るソフトウェア機能も含む。経営者が環境の変化に対応して発揮する経営ノウハウなど、なかなか文字(言語知)には出来にくいが、経験と勘の世界のノウハウを含む「暗黙知」の一部なのである。繰り返しにより「意識せずとも再現できる知」という意味では、広大な「潜在意識」やその人の「特性」にも深く関連している、という。人の行動原理は潜在意識の強烈な影響を受けている。「小脳」の特徴は、頭と体の双方を動かしながら反復訓練によって体得して行くという特徴があり、無意識に出来る様になると、その一連の情報は小脳内に安定した形態で保存される。と同時に、潜在意識に「メタ化した情報」として沈殿してゆく。それが潜在意識に蓄積され、その人の特質や個性に発展する。これが「心や人間性の完成を育む」という点に直結しているらしい。
従って、知識偏重主義や頭でっかちは、「こころ」に問題を持つケースが多いという。確かに座学ばかりの知識偏重の輩には、無機質な無味乾燥な人間が多く、個性的な魅力ある人が少ないのは頷ける。精神病などのリハビリ過程でも小脳の活用は大変重要になりつつある。また、頭と体の双方を動かしながらバランスよく体得してゆく技能やそれに連なる「心の育み」は、大変強固で安定した知であり、意識せずとも再現性が高く、結果として「個性の形成」に深く関連しているらしい。それがある触媒で卓抜なものに成長したものが「ひとかどの個性」という繋がるのではないか?あるいは、潜在意識というものを上手く活用するか否かに、「ひとかどの個性」を育む大きなヒントが潜んでいるのかも知れない。
面白くなって来た・・・。(笑)
これは仮説だが、「ひとかどの個性」とは、先天的な資質と特に反復訓練によって育まれ意識せずとも再現性のある後天的な資質 :スキルセットの体系(暗黙知)を、潜在意識の力をフルに活用し、先天的資質との融合により巨大化した性向や特質、と定義することも可能である。なるほど職人や一流スポーツ選手、芸術家、一流経営者などに強烈な存在感がある訳である。意識せずともほとばしる気迫や存在感は、激しい環境変化に対応しサバイバルする為に、厭がおうにも身についてしまったものであり、しゃべり口や身のこなしなどの外見的な部分にも独特の特徴を持っている。
潜在意識は顕在意識の二乗以上の影響力があるらしいが、大変興味深いのが、顕在意識のある経験・ノウハウが潜在意識の大きな海原に沈殿してゆくのに重要な働きをするのが、「忘却」の機能だそうである。ボーっとする力というのだろうか?(笑)忘却は頭の中の情報の整理機能であるが、忘却が効率的に出来るかどうかは、実は「睡眠」の質に大きく依存しているそうである。特筆すべきは、人間ならではの忘却という機能を通して、実は「こころを育む」という大きな役割を潜在意識が果たすらしい、ということだ。
なるほど、情報の「摂取」と「排泄」が良い睡眠により循環している状態により、脳内は活性化するとすれば、この良い状態で「こころが育まれる」のは何となく納得できる。睡眠が上手く取れないと「こころ」に異常をきたす訳である。一旦、上手く整理されてしまうと、忘却され潜在意識に沈殿した大きなデータベースから、人は必要に応じて「知恵」を引き出すことが出来る、というのだ。存在感のある方は、「どこでも眠れる」という資質の保持者が多いのは、前から気付いてはいたのだが、やはり脳科学的にも序序に解明されて来ている。
経営者もそれぞれの会社の危機を乗り越えるのに、「デジャブ」の感覚 :これは前にも体験したことがあるぞ、という感覚の中で、意思決定を連続的に行ってゆく、という事を幾人かの経営者からお聞きした事がある。立ち止まってうんうん考えているのでは遅いと言う。これは反復訓練の賜物である。小脳をフル活用し、過酷な体験を連続して経験し、身に備わった知恵を持っていらっしゃる。皆さん、それぞれ独特の強烈な存在感があるのだ。少なくとも、最近の政治家や大学教授などには、残念ながらめっきりそういう存在感のある人物がいなくなった事は確かである。政治、経済、ジャーナリズム、外交、文化、教育など、日本の利益を代表する人々に、「ひとかどの個性」がもし存在しないとすれば、確実に日本の存在感は薄れてゆくだろう。
「ひとかどの個性」に育つ人間とそうでない凡庸な人間とでは、実は生地の能力の差異は少なく、その「特質」や「個性」をどう上手く活かすか・・・についての差異が大きいのではないか、と考えられる。この仮説が正しければ、我々凡人にとっては朗報である。
「小脳」と「潜在意識」の活用: この分野での研究や取り組みがいま一つではないだろうか?私の様な素人が考えても何か無限大の力が眠っている様な気がする。もっと意識的に「脳とこころ」を活かすように工夫することが出来れば、我々の人生も大きく変わってゆくに違いない。
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