1 Big Pictureを描く
一年の計は元旦にあり、と言われるが、年頭に人はさまざまな目標を掲げる。最近強く思うのは、目標の設定の仕方を工夫することで、同じ能力でもかなり違った結果を生み、それが違った人生につながるのではないか、ということだ。
目標の設定の仕方とは、時間軸とその内容の問題である。あまり直近でなく、されど遠過ぎない、頃合いの良い期間。それと、頃合いの良い内容とのコンビネーションがポイントなのである。
ある目的を達成するために、直近の目標に狙いを絞るのではなく、その先の目標や本来の目的を設定すると、直近の目標は自ずと達成してしまうことがあるのだ。
願望する直近の目的が切実なほど、それ自体を追いかけるのは得策とは言えない。直近の目的を包含する本質的な目標を考えてみる。直近の目的の先には何があるのか、を考えてみる。これを本質的な発想展開力なり、Big Pictureを描く力と言い換えることもできる。
2 “手段”が目的化していないか?
このようなことは、違う形で既に賢人たちが述べているのかもしれない。しかし、座学で知っているのと、自分事として実感するのには大きな隔たりがある。
例えば、年間売上目標を達成するために、多くの方々がさまざまな工夫をしていると思う。その「年間売上の目標を達成する」のは何のためだったか? 目標の先にある、目的を考えてみる。
近い将来における具体的な出来事や、より大きな目的を想定し、その目的のために日々何をすべきか自らに問いかけ、集中するのである。
そのビジネスが、経営者層への説得がポイントの製品やサービスであれば、近い将来、経営コンサルタントとして自立する、という目標を立ててみる。プロのコンサルタントとして経営者により良くServeするために、自分のスキルで改善すべき、あるいはもっと伸ばすべきことは何かにフォーカスするのである。
そう、年間売上が「目的」ではなく何かをするために必要な「手段」と読み替える。目標ではなく手段への転換、いわゆる、「価値の読み替え」である。
これは当り前に思えることであるが、人は必死になってしまうと、よく手段を目的であるという思い込みをする。「手段の目的化」は、頭脳の働きを硬直化し新しいアイデアに制約をかける。笑えない話である。
3 目の前のことに囚われず、先を見据える
もっと分かりやすい話をすると、ゴルフのプロが直近の試合に勝ちたいとする。その強い気持ちを一旦飲み込んで、その向こうにある、例えば、年間平均スコアを70以下にすることに目標を切り替え、そのための練習に励んだとしよう。
平均スコアが70を切るということは、今のプロの世界でも賞金ランキングは10位以内に入る。すると自ずから1、2勝はしているはずである。目の前の試合の勝ち負けに喜怒哀楽するよりも、そういう発想転換ができれば、気持ちに余裕が生まれ、身も心もリラックスできる。
ゴルフはメンタルな競技である。少し先を見据えることで、直近の試合で勝利を収める。これは45歳でゴルフの賞金王を獲得した藤田プロが実践した方法だそうである。
だが、若い頃は、このような考えなど及びもつかなかった。“直近の目標”に頭も体も縛られてしまい、その達成のためなら少々のことは犠牲にしても構わない、などと考えがちだ。若い頃は恋愛もその事のみに集中しかちで、相手が何を望んでいるかまで考える余裕がない。成就させるための知恵が足りないために、結果的に成就しないことが多い。その縛られている状態から、身も心も一旦解放してあげる必要がある。
間違ってはいけないのは、直近の具体的な目的があることが悪いわけではない。それはむしろ必要で、その上でそこから一旦離れるのが良いわけだ。
一旦離れた後、どのような発想転換ができるか? ここがミソである。そのためには、やはりある目的の達成に悩み抜いた経緯が必要だ。その上で発想転換ができるようになる。ここにも「価値の読み替え」が登場する。
これもある意味、イノベーションの1つと言える。ゴルフの試合で勝つとは、一体どういう状態を指すのか? 一流選手はそのためにどういう努力を続けているのだろうか?
4 リーダーにこそ求められる資質
我々のエクゼクティブサーチの仕事で考えてみると、「ある案件にフィットする人材を探して顧客に紹介する」という、誠にシンプルなものだが、これが16年間やっていてもなかなか難しい。
我々のミッションは「企業の進化のための多様性を提供する」ことだ。ただ、時代を問わず常に我々が探し続けているのは、それぞれの分野のリーダーたちなのである。企業という生き物が進化するためには、それを企画し、皆を説得し、実行に移す行動力を持ったリーダーたちが必要である。
専門性や経営経験はクリアしている、人柄も良い。ただリーダーとしての資質が足りない人々は意外に多い。
リーダーとは長年かかって醸成される資質であると言われる。リーダーを育てるぞ、という周りの環境と本人の深い自覚が関係しているようだ。
生れつきのものも影響するが、リーダーたちの経歴を伺ってみると、年少の頃から皆をまとめる役回りをこなしていらっしゃる。幼稚園の桃組のリーダー、小学校の学級委員長、中学・高校のクラブ活動のキャプテン、大学のボランティアのリーダーなどなど。20年、30年かけて形成されてきたスキルだとすると、そのような経験の土台がなく、いきなりリーダーの役割を果たせ! と言われても、かなり難しいのが道理である。
英国にはノブレスオブリージュという英国紳士の持つべき「矜持」に対する意識がある。リーダーは、恵まれた環境の中で自己研鑽を求められるが、大事に至っては自らの身を投げ打って弱き立場の人々を守る、というものだ。
ここでもやはり、「直近の目的ではなく」が適用される。仕事を果たすためだけにリーダーが必要な訳ではなく、リーダーにはもっと大きな役割と使命があるのだ。
最近思うのは、リーダーシップというものは、どーんと高い目標や本質的なゴールを設定し、直近の目標あるいはそれ以上の成果を、自分や周囲をキリキリさせず、むしろチームメンバーがやり甲斐と気付きの中で楽しく成長感を伴って達成してしまう、という状態を作り出す能力であり、リーダーはそのために必要なのではないか、ということだ。
人の一生は、幼年期、青年期、壮年期、熟年期、晩年期に分けられる。それぞれの時期には、それ以前には考えもつかなかった事態に遭遇する。価値観が大きく変化したり、受け止め方のより、成熟した知恵が育まれたりするものらしい。「ああ、何も分かっちゃいなかった」という体験である。私の場合、自分の「目の昏さ」を実感するのは、むしろ熟年以降の方が多い。今回のテーマも、もっと若い頃に気付いていればなぁ、というジャンルに入る話だ。
直近の狙いではない、本来の目的。貴方にとって何ですか?
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