多くの人は「良い仕事をして良い立場を得たい」と言う自然な願望がある。それはそれで良い事だと思う。その方法の一つが、自分に合った「仕事選び」というのが一般的だが、そうなのかな?と思う。それはあくまで個人のスキルが完成しており変化しないという前提であり、仕事を個人が選ぶという感覚に私は以前から違和感を感じている。何故なら、個人としてはあらゆる意味で完成品である訳は無く、「成長過程の半製品」であるからだ。一方で仕事の方は何十年も何百年もかけて成熟して来た経緯がある。過去の歴史からそれぞれの分野での熟達した人物やモデルは存在する。従って、成熟した仕事に向かって、半製品の個人が「仕事を選ぶ」というのは何か滑稽に思えるのである。
本来あるべき仕事があり、個人は努力してそれに近づくという感覚が近い。確立した専門職を考えればわかり易い。まず、仕事を選ぶのでは無く、仕事から本人が選ばれるのである。General Management職についてもしかり。経営職などは企業規模、グローバルステージ、成長性、利益率やその業種の歴史的背景などにより、様々な経験の引き出しをもつ必要があり専門職的な色彩が伴う。学生の就職活動などで、仕事より会社を選ぶのに血道をあげるのは致し方ない。これと言って出来る仕事やスキルが無く、仕事とは一体何かの想像力も乏しいからだ。ただ、ある程度の期間仕事をして、経験もスキルもあるのに今後の方向性が見えない、これからどんな仕事を選べば良いのか分からない、という方がかなり存在するのである。確かに大企業で20数年間ひたすらある専門職を経験して、初めて転職を考える方もいるかも知れない。その場合でさえ、日頃競合他社がその分野でどの様な活動をしているか情報収集するだろう。自分のあるべき仕事の姿が想像出来ないと言うのは少し違う気がする。
あるレベルの方々についてだが、「転職は隣りの畑まで」と言われる。自分の経験値やコアスキルを考慮し、隣の畑へのチャレンジは良いが、隣の隣までのチャレンジは避けるべき、というものだ。卑近な例で私の場合、IT業界でセールス・マーケティングのキャリアから、44歳でエクゼクティブサーチに転職した。初めての転職で、かなり業界もスキルも違うので、「隣の隣の畑」ではないか?と当時は言われたものだ。しかし、業種、業態は異なるが、トップ顧客に対するコンサルティングセールスあるいはマーケティングの経験はそのまま活きるし、組織ストラクチャーの中でどう顧客にサーブするのかも実例で学んできた。ITベンダーの立場で多用な業種、業態の顧客に対応していたので、多業種の顧客を対象とするコンサルティング・ビジネスという共通性もあった。また、スタントンチェイスのフレームワークはパートナーシップという独立組織の集合体であり、このフレームワークを利用して「ある意味独立したい」という方向性もフィットした。16年間やってみて一応「隣の畑」だったと言える。転職前に弊社の当時チェアマンだった米国人に、自分やこういうキャリアだがやってゆけるだろうか?と聞きに行った記憶がある。彼は「退職金の半分ぐらいをつぎ込む覚悟でやれば、必ず成功するよ」と言ってくれた。それは自立せよ!というメッセージだったかと思う。従って、業種、業界が異なる、物流やチャネルが異なる、製品特性が異なる、B to BやB to Cにfitしない等、ステレオタイプの仕事選びの判断は禁物である。要は次の仕事で「どういう顧客にどういう価値提供をし、何に貢献する仕事なのか?を見極める」のが肝要であり、その見極めた照準に自分のコアとなるスキル・経験をどう活かしたいか?また、違った環境にも適用できる自分のコアスキル(Carrying Skillと呼ぶ)に、「あるべき姿(これをCareer Aspirationと呼ぶ)」を重ね合わせ判断されるものかと思う。
私は言葉の源流を辿るのが好きだ。仕事とは「事に仕える」と書く。「仕」は本来「する」という言葉の変化の当て字らしいが、この際、独自の解釈をしてみたい。物でも人でも会社でも無く、「事」に仕える(Serve)訳で、事とはあるプロジェクトや出来事を通して自分を活かし奉仕するという事だ。プロジェクトにServeする訳だ。これは個人のスキルや技術の鍛錬は重要だが、それよりも複数人が助け合って何かを成就する為に努力する事の尊さを、仕事という言葉が端的に語っている。人は様々なライフステージでそれぞれの挫折や成功を繰り返し、その都度悩みながら人生という荒波を渡って行く。私は、単に個人の仕事の達成では無く、その時々の仲間達とのチームでの成功や挫折を通して、もっと人生を人間を深く味わい学んて来い、と仕事から言われている様な気がする。一時期、生活の為やお金を稼ぐ為に仕事をする事もあって良いとは思うが、本来人間を更に磨く為に「仕事」というものが存在するとすれば、何歳になっても仕事を続けていたいと切に思うのである。
では、原題の良い仕事の見つけ方とは何かを考えてみる。良い仕事の捉え方でアプローチは大きく異なる。まず、良い仕事が既に存在しそこに自らがジョインすると思うか、参加した仕事をより面白く良い仕事にするか、という根本的な問題がある。勿論一人で出来る仕事はごく限られている。如何に良いチームを作りチャレンジしがいのある事に巡り合うか?或いはそういう仕事にするか、を問う事が良い仕事の見つけ方となる。会社のブランドでも無く、更に良い年収やポジションを求めることでも無く、自分の培った経験やスキルを切り売りして出来る仕事を探す事でも無い。ただ、良いチームを作るという点で、次の職場で巡り合う人々が自分の人生にどう作用するか?はかなり重要である。特に新たなメンターとの出会いは個人にとってPricelessである。
幾つかの要素を抽出すると、
・10年単位でチャレンジ出来る。
・人を育て自分も成長出来る。
・何らかを世に返す事が出来る。
・日本発世界へ発信。
・新しいイノベーションに結びつく。
・それぞれの専門家が力を結集させて、初めてなし得るプロジェクト。
ては一体その様な仕事をどうやって見つけ出すのか?人には長い人生で様々な出会いがあるが、「縁とタイミング」という言葉に尽きる。この摩訶不思議な言葉の重みを感じておられる方々は多いだろう。王道は無いが、原則論はある。その一つは「目線の高さや姿勢の良さ」であり、もう一つ挙げるとすれば、「自分の仕事の枠を少しずつ広げてゆく志向性」だろう、と私は考えている。
そう思って今自分のやるべき事は何かに思いを巡らすと、実に16年もこの仕事を続けて来て実は何も出来ていない事に気づく。日本にプロの経営者市場の形成にどれだけ貢献したのか?新しい我々の仕事の再定義が出来たのか?我々の仕事を後世に伝える事が出来たのか?実は何も出来ていないのである。ジタバタしても仕方無いが、「良い仕事」と巡り合えたかは分からないが、「誰かがやらねばならない仕事」と出会った感はあるのである。
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