スキルも経験もあり人間性も悪くないのに、「姿勢が無理」という人がいる。これは我々エグゼクティブサーチにとって重大な事である。また姿勢に疑問符がついてしまう事は、候補者にとって非常に勿体無いことだ。何故なら「姿勢が無理」だとその上に何を積み重ねても崩れてしまうからだ。物事に取り組む姿勢の良し悪しは、一体如何なる環境で培われるのか?は、ビジネス面に限らず多くの人々にとっても興味深い点かと思う。「良い姿勢」は様々な環境の中で培われ、決して一律ではない事は確かだ。しかし、何らかの共通点を見出すとすれば、「厳しい環境」と「良きメンター」との出会いにより形成されるのではないか、という点である。
先週、弊社の25周年のイベントに参加した。かつて欧米のグローバル企業の発展をエグゼクティブサーチとして下支えして来たシニアのツワモノ達も集まって来てくれた。欧米のこの業界では既に著名人も幾人か見かけられる。75歳を過ぎた方も多いが、皆さん独特の存在感を発散している。一目見て只者ではない、という印象を受ける。彼らと親しく4日間ほどを過ごして改めて感じた事がある。それは彼等の生きる事に対する「明るい勢いと謙虚さ」である。そして人間性の素晴らしさである。プライベートで食事をしながら幾人かから聞くチャンスがあった。何があなた方の成功のKeyだったのかと。かれらは、スキルでも経験でも人脈でもない。まずは「姿勢」の良さが我々の成功の決定的な要因だったと思う、という共通するコメントを得たのには驚いた。やはりなぁ。これはビジネスでも学術でも芸能でもスポーツでも皆同じなのである。優れた人々は「姿勢の良さ」で他者より抜きん出ている。その姿勢は伝播する。というか感染する。チームを作ってゆく。この方々にも良きメンターがいたに違いない。そしてそれをメンターとして継承してゆこうとされている。そういう意味で、メンターは国の宝であり、グローバル環境では人類の宝とも言える。
ある程度長い年月この仕事を続け、我々の周辺の人々を見回し改めてそう痛感する。姿勢が悪いとクライアント、候補者、パートナー、従業員すべてのステークホルダーから直ぐに見透かされる。これは本物ではないな、と。「姿勢が無理!」という人は、初見では分からなくとも、少し仕事をしてみると直ぐに明らかとなってしまう。これは経営職やマネジメント、専門職、スタッフ部門などの職位や仕事のジャンルを問わない。仕事の姿勢が悪い方は常に存在するのだが、こういうFundamentalなものは若い時分に教育されるべきもの、という定見があると思う。ただ、例外もある事が最近分かって来た。例えば初めて経営者となってその立場で自分事として経営を真剣に考える様になって、過去にメンターから言われ続けて来た事が、また違った次元で「合点がゆくタイミング」があり、俄然「姿勢が良くなる」事があるのである。
では姿勢とは一体何だろうか?ステレオタイプな定義は意味が無いが、姿勢が良い!という方々の行動様式の特徴を挙げることは出来る。
1 弱きを助け、人に感謝する。
2 困難によく耐える。
3 約束を守り、努力を継続出来る。
4 仮説を立て、検証する習慣がある。
5 リーダーとして明るく人を導ける。
6 目線が高く、泥臭く行動出来る。
7 生きるスタイルを持っている。
などの極々基本的な事が普通に優れている。
一方「姿勢が無理」という方々の特徴は、
1 他責志向(自分は悪くない)で、内省の習慣が無い。
2 仕事は与えられるもの、と言う「雇われ発想」が強く、すぐにワークライフバランスを持ち出す。
3 3年以内に転職を繰返す傾向がある。
4 ビジネスに限らず、専門性を磨き抜いた経験が乏しい。
5 目線が低く行動が伴わない。
6 物事をなめていて、何か厚かましい雰囲気を与える。
姿勢の良さは、文字通り体の働きにも重要な働きをするが、何かを取り組む際の「心の姿勢」は、その人と仕事を始める際、ある「勢い」や「謙虚さ」や「美しさ」として感知される。隠せるものでは無い。心の姿勢とは、何か具現化する前の「気配」である。物事を在らしめる為の前提条件である。「最初に言葉ありき」その後に世の中が形成されたという。その人や仕事の気配はその後の成り行きを明確に示唆するものだ。
いつものことだが、独断と偏見で「姿勢」について述べてきたが、プロとしてそういう分かりやすい姿勢の良さに出会うと、我々は訳なく楽しくなる。その逆だと内心疲れが溜まる。良い人材を見出そうとして、人に会うのは思いの外心身を疲労させるものなのである。一点気をつけねばならない事、それは我々の「姿勢」も常に皆さんから見られているという点だ。
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