今回はゴルフの良い題材があり、少しゴルフの話をする事を許して頂きたい。
先週の日本女子オープンゴルフは久々ゴルフの醍醐味をみせてくれた。優勝スコアが+12という非常にタフなコースセッティングで、プライドの高い女子ゴルフの名手達が、皆ずるずるとスコアを乱し、まれに見るサバイバル・ゲームとなった。終盤の優勝争いでは、自分の敵となる選手を気にするというよりは、タフなコースと戦い、如何にパーをセーブするかに全神経を集中させていた。これこそが、ゴルフの原点の、「オールドマン・パーおじさん」を相手にするゴルフであろう。コースをタフにすればするほど、勿論ゴルフスウィング云々やコースマネジメントのレベルを超え、どう自然環境と「折り合い」をつけて、自分を自然の中に溶け込ませるか、または「身を任せる」か、技術を駆使してなんとかパーをセーブする「しのぐゴルフ」と、その中で少ないチャンスを何とかものにする、という信念と粘り強さの勝負になってくるのである。その中で見事優勝した馬場選手は、小兵ながらもとてもゆったりとした美しいスウィングの持ち主であった。特にボールを打ちにゆかない、パンチを入れず、ゆっくりとスウィープしてゆく感じが素晴らしい、と思う。
ゴルフに、「振られる腕をつくる」という発想がある。「ゆっくりと大きな自然な動きに身を任せる」というほどの意味である。目の前のボールに意識が集中し過ぎると、体が固くなり本来のスムースな動きを妨げることになってしまう。特に腕の動きが非常に強力で、本能的に「えいっと」いう力が加わわってしまうのである。これを「打ちにゆく」というが、スウィング(遠心力)の妨げになり、結果ヘッドスピードが落ちてしまうため、この動きを如何に封印するかがゴルフスウィングでは鍵となる。体の捻転により体の大きな筋肉を有効に使う事によって、腕を振るのではなく、大きな自然な体の動きに身を任せ、如何に「振られてしまう」状況をつくるかが、安定した力強いゴルフスウィングを作るキーポイントなのである。
これは、練習量の少ないビジネスマンには意外に難しい課題なのである。賢しらな自分の知識や意志、格好の良いスウィングを見せたいとか人より遠くへボールを飛ばしたいという欲などを一旦断ち切って、自然の動きに身を任せてみる・・・という発想が出来ないと、上達は覚束ない。目の前のボール目掛けて、腕を振り下ろしボールにクラブを「当てにゆく」のではなく、しっかりと深いバックスウィングが取れたなら、そこから左腰のリードによって「振られるスウィング」をする。この通過点にたまたまボールがあって、「当たってしまう・・・」という感覚である。
何故、こういうスウィングが必要かというと、効率がよく、疲れないからであり、すなわち良いショットの再現性が高いから、なのである。18ホールの戦いの中でも、36ホールの決勝ラウンドなどでも、4日間のプロのトーナメントでも、次第にいちいちスウィングなど気に出来ない程、疲れてくる。他にコースマネジメントとか、自然条件の変化など、様々な環境に対応してゆかねばならないスポーツなので、如何にシンプルで、再現性の高いスウィングを持っているか?は、大変重要なポイントとなる。
さて、これらの事は、何かビジネスでも言えるのではないか?と、常々思っていた。
クオリティの高い仕事を「再現性」をもって繰り返し行う事はビジネスで重要である。ある時点だけ好成績を収めることはある意味容易いが、何年も継続して良い仕事をし続けることは難しい。意識して特に頑張らなくとも、「習慣化」した安定的な技術や行動パターン、あるいは思考パターンがある無しは、ビジネスの勝敗に大きな影響を及ぼすのではないだろうか?個人の技量もそうであるが、その総和であるチーム力、組織力となると、この習慣化と再現性は成功の重要な鍵になる筈である。
また、何でも自分で意志でコントロール出来る、と思い込んで仕事をしている人を時々見かけるが、こういう人は一旦自信を失うと崩れ方がひどいものである。自然や変遷する経済環境の中、「持ちつ持たれつ」でかろうじて自分のビジネスが成り立っている、商売をさせて頂いている、という感覚は、いざという時の安全弁となる。非常に高業績となっても、たまたまラッキーであった、非常に悪い時も、そういう事も勿論あり得るだろう、と精神的に自分をいなせる姿勢は重要で、ビジネスでの「振られる腕」なのである。よく候補者の方々の成功体験のエピソードを聞いていると、「これは自分の手柄である」という傾向を、失敗談を聞いていると「これは自分のせいではない・・・」という事をとうとうと述べる方がいらっしゃるが、どうかと思う。世の中はそれほど単純明快には出来ていない事は、成熟した大人であれば皆わかっているのである。むしろ、あと一歩で成功が見える段階で、思わぬ手助けがあり、成功してしまった、という例の方が多い様な気がする。いわゆる、万事を尽し「身を任せる」感覚である。
日々の努力は重要であり、強い意志で何かをやり抜く事も大変重要ではある。が、究極の現実局面に相対した時、「大きなものに操られて、我々は生かされている・・・」というか、なかなか表現が難しいのであるが、自分自身を矮小な存在として認めた上で、意識下の大きなパワーを総動員する、そういう感覚の重要性を理解して頂けるのではないか、と思う。
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