表現が難しいのだが、自分で企業を経営している方々と、例え社長であってもサラリーマンとでは、基本的に人種が異なるのではないか?と長年感じている。お互い言っている事が通じあわないのだ。大きな違いは60歳前後になってからの、今後の人生に対する意識である。片方は定年の意識など毛頭なく、あくせくと75歳前後まで忙しく働く。片方は55歳前後からの老け込みが著しく、62歳前後で完全なおじいちゃん(おばあちゃん)になってしまう。もう一つの大きな違いは、キャッシュで苦労した経験があるかどうかだ。大方のサラリーマンは、「価値を提供しキャッシュを産む」というビジネス貢献の基本とは離れた感覚の中で、当然のように25日の給与振込を得ている。人生トレードオフなのでどちらか一方が良いと言っているのではなく、人種があたかも違うと言っているのである。
サラリーマンなのに起業家のような方もいるし、途中から起業家に転身した方々も多く存在する。その逆はあまり聞かないが。我々から見ると、サラリーマンの大きな特徴は自由に転職出来ることある。事業家は一旦事業を起こし例え失敗して大きな犠牲を払っても、また新しい事業を起こそうとする。いやそれ以前にある事業を起こしたら最後、成功するまでやり抜こうとする。従って起業家は我々のターゲットに普通はなり得ないのである。ただ面白いのは、我々は実はサラリーマンの中でも起業家精神を持ったサラリーマンを対象としている点である。
起業家精神の対局にあるのが、「雇われ発想」である。企業の中で相当な立場にある人でさえ、雇われ発想の方々は散見される。雇われているのだから、雇われ発想で何が悪い、と言われても困るのだが、その基本にあるのが、雇われた給料分の仕事(の範囲)はする、というものだ。従って、給料分の仕事(の範囲)をしたと自分が認められれば、後は知らない、というケースが多い。また、給料分という拘りがあるので当然ながら立場や待遇の改善には執着する。
一方、その月々の仕事が顧客への具体的な価値に貢献したり、キャシュを産むものでなければ、本来月給は貰えない、というのが経営としては正しい感覚である。バックオフィスの仕事も、自分に取っての顧客に(後工程に)価値を提供出来る筈だ。また、経営に立つ人々に取り、給与は各種経費や来期への投資、内部留保、配当などを考慮した残りであるので、人為的に上げ下げ出来る性格のものではない。昇進や給与を上げるという発想が薄く、常にキャシュと節税を考えている。
「仕事の範囲の決め方」はその人の仕事人生の成長を左右する。伸びる人材は仕事に関連する仕事やその周りの付帯情報を興味と問題意識を持って掘り下げてゆく。何故こうなんだろう?という視点である。そうすると、その仕事をより良く改革するヒントが浮き彫りになることが多いのである。結果、会社側としてはより広い範囲の仕事を任せざるを得なくなるのである。「良い仕事をして良い立場を得る」、または、仕事とは本来楽しいもの、という感覚を自然と持つ事が出来る。社内起業家というと少し大袈裟だが、その基本はこの様な仕事に対する姿勢の積み重ねであり、雇われ発想の人々は、昇進や昇給のチャンスだけでなく、仕事の面白さをも犠牲にしてしまっている。
そういう雇われ発想の方々が熟年を迎え残念ながら大企業の現職を追われ、転職市場に溢れ始めている。長年培った雇われ発想も大企業志向も簡単には修正できない。50前後まで転職未体験の方々も、今となっては少し変わったジャンルに入る。しかしながら、長年著名な大企業にいたから、もっと厚遇されるべきである、と本気で考えている方が多いのである。
年金も期待出来ない、寿命は伸びる、50台後半からは大企業に在籍した方々も専門職化し、実質的には自給自足の経済に支配されてゆく。これは既に予見である。生活保護に頼らない限り、早かれ遅かれ自立経済を自身の責任で廻さなければならない時代が到来するのである。これは昔も常態としてあったのだが、現代は世の中の変化のスピードと平均寿命の長さが全く異なる。平均寿命で考えても、60前後から四半世紀以上も生きることになるのである。この間何をするのかは、50前後で考え準備を始めないと間に合わない。
「起業家精神に富むクライアントに対し、起業家精神のある候補者をお世話し、企業の成長に欠かせない多様性を提供する」これは弊社の社是にあたるものである。特に欧米ではこの起業家精神はリスペクトされるようだ。懐かしいピータードラッガーにも「イノベーションと起業家精神」という名著があった。「起業家精神」と「雇われ発想」あまりにも対極にある考え方だが、日本人の多くが後者の発想から抜け出せないと、日本の将来はかなりまずい事になる。ただ、雇われ発想の人にだから駄目だと何回言っても事態は変わらない。「神は細部に宿る」という言葉通り、前述の様に日々の仕事への姿勢の転換が知らず知らずに図られ、気がついてみたら起業家的に変身していた、という様な確信犯的な改革が必要なのではないか?と最近痛感している。
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