人脈があると言う。広い人脈を活かした成功談もよく耳にする。人脈は大切である。それ故に軽くは扱えないと最近つくづく思うのである。例えば「ある人を知っている・・・」という意味が、
・名前と顔を知っている。
・性格や好みを知っている。
・職歴やキャリアステージを理解している。
・プライベートな事まで話せる間柄である。
・長所と短所を含め立体像を把握している。
様々なレベルがある。長くこの仕事をして来て、他人を分かろうとする努力は大切だが、それでも尚、決して他人を分かったなどと思ってはいけない、という事が過去の経験をもとに反芻されるのである。人は思いもよらない能力を発揮したり、金看板のキャリアの方がいざとなると何も出来ないということがあり得るからだ。
自分のことさえ分からないのに、何故他人を理解出来ると思うのだろう?人脈にも同じ様な事が言える。他人のことは分からない、という前提に立っての人脈である。従って、人脈があると本人は思っていても、実は他人の方はそう思っていないケースは多い。特に有名人と自分という位置づけで、ついついあの人を知っていると言ってしまいがちだが、注意が必要だ。
「人脈」とは、本来相手方が自己の信用を掛けて、勧んで他の人に紹介出来る、という人の繋がりを指す。なかなか無い事である。何故なら、人脈を使われる側は、今まで培って来た信頼が、その人を紹介する事でふいになる可能性があるからだ。私共の仕事で過去にお世話した方が、転じてクライアントになるケースがある。これはお互いの利益になるwin winの相互依存関係である。これも人脈の始まりではあるが、まだ人脈とは言えない。むしろその人の為に敢えて自分の不利益な事でもしてあげたいと、双方が感じる関係と言ったら分かり易いだろうか?また人脈繋がりと双方思っていたが、ある出来事をきっかけにそうで無くなる場合も、あるトラブルをきっかけに大変親しくなる場合もある。大人の人間関係は複雑なのである。
我々の仕事に、候補者のリファレンスチエックというものがある。候補者から過去に一緒に仕事をした上司、部下、同僚をピックアップしてもらい、我々が電話インタビューをし、その結果をクライアント側に報告する、というプロセスだ。予め電話 する日程を候補者にも伝えておくので、口裏を合わせその方に関する良い事のみしか聞き出せない、と思われるかも知れない。ところが実際には、その方の素晴らしいと思う何点かを褒めてゆくと、微妙に口ごもったり、中には真っ向から否定される方も出現する。そういうポイントが何人かのインタビューで共通になるケースが多い。我々も他山の石として反省せねばならないと思う瞬間である。所詮他人のことは分からないのだ、と我々はよくよく自覚する必要があるのだが、逆に欠点は思わぬ長所に繋がっていることがあり、私共には総合的に判断する度量が要求される。
人間関係の「貸し借り勘定」というものがある。この感覚を磨くことは重要だ。あの人には貸し一つ、借り二つなので、トータル借り一つである、という認識だ。優れた人脈を維持している方々には、明確なバランス感覚があり、借り勘定に傾いていると、落ち着かないのである。これは損得勘定とは少し異なる。人脈のそれは、「心の琴線」にどう触れ合うかかに関連している、年収が増えてもやり甲斐や何らかの貢献が感じられない仕事なら、勿論我々と候補者、クライアントはお互い琴線には触れられない。人脈が人の微妙な心の動きに関連しているのは、恋愛や友人関係よりもデリケートかも知れない。人の機敏に触れられる優れたリーダー達のこの感覚は鋭敏だ。長くこの仕事を続けてみて、どれ程の広い人脈があるのでしょう、と言われる度に、果たしてそうだろうか?と自問自答するのである。
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