最近大胆な仮説を立てている。それは、ほとんどすべての仕事は大きく「4つの基本動作」に収斂されるのではないかということ、また、その個々の仕事の基本動作の理解の深みは具体的経験の積み重ねによる「経験知」であり、所謂「先天的な知」ではない、という事。また、仕事が出来る、優秀である、と呼ばれる方々は例外無くこの基本動作が見事に徹底訓練されているという事である。4つの基本動作とは・・・
①調べる
②仮説を立てる
③発表する(承認を取り付ける)
④実行・検証する
の4つである。なあ~んだ、と思われる向きもあるかもしれない。しかし馬鹿にしてはいけない。こういう「基本的であたり前の事」を実際の複雑な環境の中で「あたり前にこなす力」こそが、差別化に繋がるのではないだろうか?「専門性」も様々なプロジェクトにて、これらのGeneral Skillを駆使し、成功、失敗経験を重ねることで身についてゆくと言える。
考えてみて頂きたい。ほとんどすべての創造的な仕事にはこの要素の精度と品質が問われるのではないか?いや④の実行・検証段階では最初から成功するほど現実はあまくはなく、④→②のスピーディな仮説、検証の繰り返しという意味で「品質を伴ったスピード」が要求される局面も多いであろう。私見ではあるが、本来、最高学府で学ぶべきは、座学の知識も勿論重要ではあるが、むしろ様々な研究テーマを通してこの4つの基本動作を訓練する事に他ならない。何故なら、座学がそのまま通用するほど実際のリアルワールドは単純なものでは無い。外部の環境変化の中でこの4つの基本動作を柔軟に適用でき、具体的な仕事で成果あるいは失敗から学んで人は成長してゆく。その貴重な準備段階が最高学府の大きな役割かと思っている。最近の最高学府の状況は悲惨ではある様だが・・・。
さて、これらの基本動作を行うに際し、優秀な人材の特質として、何に対しても
「好奇心をもって・・・」
「有機体として構造分析的に」
「我慢強く」
物事を観る訓練をしている事に気付く。子供の頃、昆虫を捕まえて、何でこんな格好をしているのだろう?とつくづくと眺めたあれである。「形は機能に従う」とは良く言ったものだ。物に対しても、人、組織に対しても、あるシステムに対しても、あるいは技術に関しても、「成程、こんな構造になっているのか・・・何故だろう?」しかも、環境変化に応じ、そのシステムを柔軟に進化させていっている事に気付くとまた更に興味深いものである。「ああ、こうして生き残ってきたのか・・・」「環境適応出来ずにこうして滅んで行ったのか・・・」などなど。
この際構造を分析するということは、図示することに深く関連している。ソリッドで簡潔で切れ味のあるSWOTや四象限のチャートをよく見かけるが、これはある形(パターン)としてプレゼンの印象を脳裏に刻みつける、という効果を生む。これも訓練次第で洗練されたものに昇華してゆく。形とロジックが一体になったものの記憶への定着は力強く長続きする。
PDCAサイクルはよく見かけるコンセプトだが、新しい市場開拓や製品開発、大きな意味でのシステムの開発の場合などは、Planの前に徹底した調査が必要であり、Doの前には様々な仮説があり、そのプランにはリソース(人、物、金、時間)への承認プロセス(発表)があり、実行・検証の後、その仮説への反復作業が絡んで来るのが実情であろう。そういう意味で、この4つの基本動作の中で、特にここではPDCAに欠落している「発表する。(承認を取り付ける)」アクティビティの重要性を敢えて挙げておきたい。
「発表する」とは、自分以外の人間にその重要性を理解させ、賛同させ、場合によって、行動させなければならない。自分で判ったつもりでも、プレゼンを作ってみて皆から質問を浴びせられると、自分が如何に判っていなかったかを認識させられるケースは多い。ましてや、クライアントの責任者へのプレゼンの場合、他の選択肢を捨てて、その案を役員会で推薦して頂く為の真の納得と適切なプレゼンを作ってもらう必要があるのである。クライアント責任者にとっては、自分の実績と信用を掛けて役員会の承認を取ると言っても過言ではない。多くの人はその乖離に気付かない。
クライアント側は理解し、納得もしている風だが、行動に結びつくまでの確信に至っていない・・・というケースが圧倒的に多いのではないだろうか?「適切なプレゼンをしたつもり」・・・になって自己満足し、理解が得られなかった場合、クライアント側の責にしたり、言い訳をしたりすることになる。ここにはロジックは勿論必要であるが、それだけでは、クライアントを鼓舞し行動を起こさせるパワーにはならない。クライアント側は、「この人と一緒に仕事をして自分の成長に繋がる、あるいは自分の成功の担保となる」という確信が欲しいのである。
以前から、専門性はあるのであるが、その後マネジメントとしてはキャリアパスを描けず、「何故なのか?」についてご相談に来る候補者に時々お会いする。
あまりはっきりとした物言いは避けているが、実は、その専門性を身につける際のGeneral Skill(4つの基本動作)が中途半端であることが圧倒的に多いのではあるまいか?
専門性はある追及をしてゆくと、ある地点で「パーン」と広がりを見せ、Generalな地点に到達するものだ。逆の観点から言うと、ソリッドな専門性の裏付けの無いGeneral Skillは大変心元ないものである。
ある興味深いエピソードをご紹介したいと思う。
以前当社でオフィス・マネージャーをして頂いていた方の話である。オフィス・マネージャーとは、総務、労務、給与関連を担当していただく、一般的にみるとルーティンワークが多い仕事である。その方は、以前の職場で、「すべての仕事とは創造である」という事を厳しく指導されたそうである。我々の庶務の中で、よく彼女は「何故、この仕事は存在するのか?」もっとこうしたらどうだろうか?という提案をよくしてくれた。所謂、よくワークフローを「調べて」、「仮説」を立て「発表し」「実行・検証」していたのである。文房具の補充について、各個人が保管してしまいこんで死蔵してしまう傾向に気付き新たな提案をしたり、コンサルタントの個々に広い集めた情報をセントラル・ファイル化し、各コンサル、各リサ―チャーのブースで個人保管しているファイルを極小化したり、何かと気がつく人であった。その方は、ある時点でお辞めになったのであるが、ある時連絡があり、当社も彼女のクライアントにならないか?という提案があった。現在、オフィスワークのアウトソーシングの会社を起業し、30社余りのクライアントをもつ堂々とした経営をされている。専門性とは実はGeneral Skillの醸成の宝庫であり、「4つの基本動作」がしっかりしたキャリアを築いた好例ではないかと思っている。
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