造語だろうか?何かの本で見た記憶がある。志は高く持ち、実行段階では現場主義(Hands On)で行動が伴っている、という意味である。好きな言葉の一つだ。高邁な志はあるが行動が伴わない「眼高手高」、志は無いが現場で黙々と行動している「眼低手低」、志が低く行動も伴わない「眼低手高」それぞれ具合が悪い。「手低」と言う言葉が少し理解しにくいかも知れない。泥に手を突っ込んで、「自分の貢献出来る専門性」で役に立つ事を意味する。その姿勢に「眼高」と言う志の高さが伴うと、専門性を磨き抜き匠の域まで昇華させる力となる。不思議と行動に信念と品格が備わるものである。だが獲得するのはなかなか難しい。
眼高手低の分かり易い例として、海外の最貧民地区で一生をその土地に捧げて「奉仕」するシスターなど、奉仕活動に従事する方々を挙げることが出来る。「奉仕」とはギリシャ語でディアコニアというそうだ。ディアは「何々を通して行う」の意、コニアは「塵(ちり)」の意である。すなわち、塵にまみれて何かを行うのが「奉仕」の原義らしい。
我々の仕事で要求されるものもこれに近いものがある。「人の人生の転換期」にこれでいいという区切りは無い。もっと楽をしていたいのが本音である。また、ビジネスと奉仕活動は違うという考え方もある。しかし、顧客や顧客対象者に、何らかの価値を提供(奉仕)してその対価やリワードを得る訳だが、その提供の仕方を考えると、「奉仕」に近い形を取るケースは意外に多い。滅私奉公とはニュアンスが異なるが、信念とプライドと誠意を持って(というと格好が良過ぎるが・・・)もう一歩顧客近づいてみる、という感覚だろうか?「顧客の信頼を得る」と言う商売の基本を考えると、実は大方のビジネスはこの範疇に入ってしまう。以前、「理解」「納得」「信頼」という、信頼の獲得に至る3ステップの話をしたが、ある方から、「納得」から「信頼」に昇華させるKeyは何か、という質問を受けた。これは重要な点である。「納得段階」では人は行動に移らない事が多く、「信頼関係」に至って初めて行動を起こすケースが多いからである。「もう一歩顧客に近づいて奉仕してみる」、という行動を通してブレークスルーが起きる様な気がする。
プロとして極めている方々の仕事振りを拝見すると、この考え方が徹底している。先日のNHK「プロフェッショナル仕事の流儀」に登場した、羽田空港の清掃員、ある有名ホテルのコンシェルジュはお二人とも見事だった。「辛い時にはより攻める」という表現だったかと思うが、困難に陥った時には、顧客への奉仕をより強めるという意味のことを言っていた。彼らは文字通りプロフェッショナル職だが、マネジメント職や経営職でも基本は全く変わらない。ある経営者がもっと「個に迫れ」と檄を飛ばしていた事を思い出す。一般的には「眼高手高」の方が多く、順調時は良いが逆境時には弱い。現場から離れすぎ改革施策に現場を唸らせる臨場感が薄く、また施策を打つ順序が判断出来ない。「絵に描いた餅」になりがちだ。優れたマネジメントは、顧客を支えている現場に対する鋭敏な感覚を常に持つように心掛けられている。
一見立派でなくとも立派な方々は幾らでもいるものだ。そういう方に巡り合うと嬉しくなる。例に挙げた分かり易い達人でなくとも、粛々と「眼高手低」を実践している賢人が市井にいらっしゃる、というのが世の中の面白いところだ。
目線は高く、手は低く・・・。
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