・小綺麗と小汚い
一見僅差と思ったものが、実は大差、という事がある。100メートル走での、10秒台と9秒台は100分の1秒差でも大差である、という例は分かり易い。また、小綺麗と小汚いのも大差である。美形であるか否かではなく、外見、内面に少し気を使われていると、その人のセンスが窺えるものだ。小汚いのはその正反対だ。外面、内面に気を使っていない上にセンスが悪い。普通と小綺麗、普通と小汚いは僅差に思えるかも知れない。だが、小綺麗と小汚いのとは、天と地ほどの開きがある。様々な分野で、僅差と思えるものが、実は大差であることがある。普通から少し気を使い努力する人と、普通から少し怠けている人とは、ある時間を経ると大きな差となってしまう。当たり前な事ではある。
昨今、企業は比較的に服装の自由度が高く、この季節ジーンズにTシャツ姿、かつリュックを背負っている姿も良く見かける。多分、顧客に対面する機会が少ない場合はそれでも良いとも言えるが、そうでもない。小汚い印象の方々が多いからだ。しかもスマホを見ながら、黙々と下を向いて歩き、周囲に気を使っていない様だ。これでは格好が悪いではないか。ネットと自分と家族、友達、同僚以外とはコミュニケーションを取らない、イコール全く関心が無いという人種が日本人に増えつつあるらしい。
・カジュアルの発祥
一方、シリコンバレーのベンチャーのダイナミズムを支えている人々は、ジーンズにTシャツだ。米国でも西海岸と東海岸ではかなりメンタルや生き方、価値観に差がある。特に西海岸の人々には、カジュアルスタイルである事の文化と伝統がある。西海岸から様々なイノベーションを生み出し、それを社会がバックアップし、エンジェル達が彼らを育てるという社会のダイナミズムの仕組みがある。彼らに共鳴するのは分からないでもないが、日本人が形だけ真似ても駄目で、第一、日本人は貧弱な体に足も短いので、Tシャツもジーンズも似合わないのである。日本人なりの新しい文化とそれに合ったスタイルを考えるべきかと思う。
・小綺麗にするには?
小綺麗にするのはそれ程難しい事ではない。まず何よりも、一旦外に出れば、公共の面前に出ている、という意識を持ち、少なくとも他人様にはご迷惑をかけないという覚悟が必要だ。夏なら見るからに暑苦しいイメージを与えない。汗臭い、不潔な印象はもってのほかである。元来、夏のジャケットとは、少しでも汗臭さを緩和する為にある。暑い時期だからこそ、ジャケットを羽織るのである。体臭の源泉は髪の毛とうなじにある。特に男性は夏は髪の毛を短く小綺麗にし、毎日洗髪する。これだけで体臭はかなり軽減される。
・服装の基本
服装は基本、他人に爽やかな印象を皆が与え合う為にある。パリの街角では、シックな装いの人に出会えば、相手が初見でも、ニコッとしてそれを褒め合う文化があるという。観光都市として気分の良い街にする、という自覚が市民にあるそうだ。華美な装いは必要ないが、季節感のある服装で、周囲を楽しく和やかにしたいものだ。
・これは困る!
問題なのは、精神内容の小汚さである。これには付ける薬がない。残念ながら、あらゆる職種のあらゆる階層に存在する。人間は単純ではないのだから、様々な局面はあるだろう。ただ、人生の大事な局面に於いて、どう考えどう行動するかを決定する際、その真価が問われてしまう。精神の小綺麗さは、その人の宝であり世界に通用する。残念ながら、日本人が失いつつある徳質かも知れない。
・不思議なこと
人体は物理的には奇跡的なVehicle(乗り物)と言えるが、その内容、すなわち頭の使い様、心の使い様で、多種多様な人間に変化し、それぞれ違う人生を歩んでゆく。これは不思議なことだ。当たり前の事の様だが、アンチエイジングだ、ダイエットだと騒いでいる中で、刻々と内面の差は開いてゆく。格差社会と言われるが、内面の品質格差が現代ほど目立つ時代はかつてないのではなかろうか?差そのものより、それにより違った道を選んでゆく不思議である。
・三種の美徳
1 小綺麗にされている上に、2 知性を感じさせる言葉を操り、3 弱いものへ自然と寄り添うことが出来る。実はこの3点が揃うだけで、どの世界でも通用する黄金の美徳となる。乱暴な意見に聞こえるかも知れないが、本当の事なのである。
第一の小綺麗さは身綺麗さ、すなわち自分や自社の情報を整理整頓し、風通しを良くしておく事に繋がる。そうすれば必要な時に必要な情報を即座に引き出す事ができる。情報過多の時代、本当の情報を引き出す力は侮れない。第二の言語能力は、現在の状況を正確に把握、分析して、本質的な「問いを立てる」言語力が含まれ、第三は、パワーを行使するかたわらで、弱きものへの配慮を忘れないと言う事に繋がる。これはチームを率いてある事を為すには必須項目である。
この3点の美徳は、技術や経験の長さや戦略の巧拙を超えることがある。何故なら独りでなし得ることに限りがあり、人間とは、文字通り人と人との間で活躍するという存在だからだ。スポーツ選手でも芸能でも、一流になりきれない例は多く見かける。体力や技術の強化に明け暮れるなかで、整理整頓して必要な技術を必要な時に引き出せる様に、身の回りを小綺麗にしておく事、現在の状況を判断する能力、自分にとって何か本質的に足りないかの課題を設定する言語能力、勝てば官軍と奢る気持ちを抑え、常に弱い立場のものを思い遣れる心の余裕と充実感、この3つがあれば超一流になれるのに惜しいなぁ、という例は多い、
小職は3点何れも中途半端である。必要な情報の整理整頓、本質的な課題設定、皆の力を結集させる力の3つの要素を心掛けて、何かお役に立てる事がないかをもう一度点検してみようと思う。
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