十数年前、新聞のルイ・ビトンの半紙面広告で、当時60歳中盤のフランス女優カトリーヌ・ドヌーブが冬の停車場に座っている広告があった。トレンチコートを着て綺麗に足を組み物憂げな様子だ。何とも言えない威厳と色気が漂っていて発想が掻き立てられる。所作の美しさに暫く紙面を眺めていた記憶がある。
所作とは、身、口、意の三業(さんごう)が発動すること。三業とは仏語の言葉で、
1)身業: 身体的な行動、身体動作
2)口業: 言葉を発する事、言語表現
3)意業: 心に思う働き、心的活動
を総称する言葉である。従って、三位一体が発動して美しいことを「所作が美しい」という。身なり、身体表現のみならず、言葉使い、心の在り方が活発で細やかな人のことを指すのである。意外にも活発なイメージだが、知性の発動を伴うエレガントさがあるのは共通している。
所作が美しいと感ずる人物を独断と偏見をお許し頂き思いつくまま挙げてみると・・・小説家吉行淳之介氏、舞道家坂東玉三郎氏、ジャーナリスト柳田邦夫氏、元国連高等弁務官緒方貞子氏、女優佐藤友美氏、多岐川裕美氏、ギタリスト村治佳織氏、作家下条暁子氏など、今となっては鬼籍に入った方、お年寄りばかりである。
最近の政治家、芸術家、芸能人、小説家、学者、ビジネスマンなどにそれを見つけ出すのは容易ではない。言語の乱れやファストファッション、読書や文字を書く習慣の消失などが影響しているのだろうか。Googleでググれば一通りのことが分かった気分になる、一見自由な様で画一化していてものを深く考える習慣がない。個の独自性を失っている様に見える。もう一つ私は社会的な大きな制約条件を背負うか否かも深く影響していると思う。何故なら、制約条件の中では個を発揮せざるを得ないからだ。所作の美しさはユニバーサルだ。どこへ行っても通用するのである。歳はとっても所作の美しい人でありたいものだ。
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