バタバタしていて年初のブログが遅れてしまった。念頭に相応しいかどうかは別にして、今回のデーマは、「色気」についてである。色気の無くなった(笑)自分が書くのも変な話だが、その渦中にいる時には分からないものが、過ぎ去ってみるとその本質が見え隠れすることはよくあることだ。色気は、人の気を惹きつける要素であり、意外に重要な役割を担う。男女年齢を問わず、ある人にはあり、無い人には無い。色気があり過ぎると身を滅ぼし、なさ過ぎると人が去っていく。厄介な存在である。
このビジネスをしていて経営者と色気との関係は興味深く拝見して来た。経営者など急に色気を失ってしまい、人も周りから去ってゆくこともある。また、登り龍のステージにある壮年期の人物が、いつの間にか「ある雰囲気」を身につけ驚くこともある。更には70歳や80歳を過ぎても、まだまだ色っぽい紳士淑女も存在するのである。これはAntiagingとは全く趣旨の異なる世界である。何故なら、若く見えるだけでは本来の色気は出ないからだ。野暮天ではあるが、一体何によって色気が構成されるのか、あるいは、どの様な経緯で色気を身に纏うのか、を考えてみたい。
私は、女性よりも男性の色気により関心が惹かれる。男性の場合、色気が出るまでそれなりの精進が必要であり、女性の場合は、そもそもある色気をどう保つのか?に重点がある様な気がする。坂東玉三郎、緒形拳、鬼平犯科帳の中村吉右衛門、麻生副総理(?)などなど。分かりやすい例として、俳優の真田広之、007のダニエル クレーグなどは、大方異論はあるまい。
二人を思い浮かべながら、色気に関する「私の考える10箇条」を挙げてみると、
1)常に危険やリスクと隣り合わせたあるMissionを持っている。
この点は疑う余地がない。非日常性や不安定感と結びついている。大きなMissionや責任を背中に担いでいて、それによく耐えているところに、色気が立ち上る。
2)元気溌剌に見える時と、疲れて見える時との落差が激しい。
肌がテカテカしている元気な若者よりは、人生の裏表を十分に経験している渋さが欲しい。精力的に活動するがふっと疲れを見せた時にこそ色気が立ち上るのである。
3)自分の生きるスタイルを持ち、精神的、経済的に自立している。
この点は重要な要素である。「高い専門性」に裏付けられた、常識に囚われない独自の価値観や美学を持ち、必ずしも損得の価値判断のみでは動かない。「高い専門性」というのが味噌である。自分のスタイルを創るという事は、現代ではなかなか難しい事だが、高い専門性と研鑽が無いと色気は出てこないのである。昨今の政治家は落選を恐れ言いたい事の言えない秀才堅気が多くなり、自分のスタイルを感ずる政治家が極端に少なくなった。田中角栄などは色気があった。辛うじて麻生副総理はなんとなく色気がある様な気がする。
4)善と悪双方の匂いを身に纏う。
明るい天使の側面と、冷酷非情な側面を併せ持っている必要がある。何故なら、独自の価値観からの一貫した行動が、時に一般的には悪人に見える事は容易に想像出来るからである。
5)常に秘密の部分を残している。
これも実は重要な要素で、色気のある人物はあまりプライベートを知られていないケースが多い。すべて知ってしまうと飽きてしまうのである。男女関係や人間関係とも酷似している。
6)老け込んではいけない。
男女年齢を問わず「色気」はある訳だが、老け込んではいけない。我々も人を相手にするビジネスの典型だが、老け込んでいる人の御世話にはなりたくないのが心情である。その意味で、ある年齢以上になれば特に身の回りの清潔感や加齢臭に対する注意、最低限の身だしなみが無いと、色気とは程遠いことになる。
7)色気は人の所作に深く関連している。従って動きが伴って色気が立ち昇る。坂東玉三郎がいい例である。色気をある身体の部位に感ずると言うのは、事実だが少し幼稚な感覚である。
8)声色との関連性がある。
女性のハスキーボイス、男性のしゃがれた声や美しい低音など、声色は人の印象を大きく形作る。人は声色と共に人の印象を覚えているものである。よく久々の同窓会で外見からは全く分からない人が、その声を聴くと懐かしく思い出す事はよくあることだ。
9)やはり「匂い」を持っている。
物理的な匂いも確かにあるが、人物全体から立ち上る「匂い」である。
10)色気を出てしまうもので、出そうと努力するものでは無い。
いろいろ勝手なことを述べてきたが、断っておかねばならない事がある。余計な色気が全く無くとも、平凡の中の非凡を体現され、淡々と人生を全うされる立派な方々がいるという事である。
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