先日、「75歳まで元気に自立して働き続ける・・・」という内容をブログに投稿した。書いてから、75歳は書き過ぎたか・・・と反省したのだが、いやいや本当にそうかもしれないな、とそのままにしてある。その一方、我々エクゼクティブ・サーチでお相手している経営層も市場のニーズとしては、さらに一段若い世代を・・・という要求が多くなって来た。外資系企業だと45歳前後、国産企業だと50歳前後という以前の相場観が、少なくとも5歳程度若い世代を・・・という機運が生まれている様な気がする。これはどういう事かと言うと、「主役は40代に任せて、我々50歳代は潔く退場しサポート側に廻れ!」というメッセージである。
大変な事になってきた・・・。
50代は「逃げ切れる」最後の世代と言われている。逃げ切れる・・・という言葉のニュアンスに抵抗はあるが、事実そうなのである。人口構成的にも世界のまれにみる高年齢社会が、本年65歳を迎える団塊世代の大量退職により本格化する。50代は次世代にリーダーシップを早く委ねてゆき、30代、40代の次世代が世界に伍する力をつけ、政治的にも生活的にも経済的にも影響力を増し安定勢力にならないと、高年齢者の重い負担に耐え切れず、近い将来日本は破綻すると多くの識者が唱えている。同時に、「逃げ切り世代の名誉と節度ある勇退が必要」であると、先日推薦した著書「30代が覇権を握る」の冨山和彦氏はその綿密で相対的な分析の中で説いておられる。その二つがシナジーとなって初めて「明日の日本を創る」土壌の様なものが形成される様だ。我々50代は将来を担う世代に対し、明らかにある責務を負う。何故ならば、高度成長時代を過ごし、「既得権益」を持つ最後の世代であり、社会的にも経済的にもあるインパクトを与える事が出来る世代だからである。では何が出来るのだろうか?そうは言っても、以下、問題は複雑である。
高度成長、人口増加を大前提とした税制、年金制度を代表とする制度疲労の問題、大量生産、大量消費を前提に、高品質、低価格の製品を米国を中心とするマーケットに輸出して売りさばくというビジネスモデルが、韓国や中国とのコスト競争圧力の中、世界各地の局地戦でかなり苦しい戦いを余儀なくされている事。国内市場の縮小傾向からグローバルにマーケットを開拓する必然性に迫られている割には、グローバルに活躍できる人材が少ない事。若い人々への深刻な教育問題や三分の一の若者達が既に非正規雇用というかつて経験した事のない状況である事、にも拘わらず、世界に類をみない1500兆円という個人金融資産の60%の1000兆円を60歳以上の人々が持っていて、年金で日々の生活が廻れば自分の資産には手をつけない、所謂1000兆円が容易に市場に流通しない事など・・・実に様々な事態が複雑に連携している。日本もかなり「いびつな国」になってしまったようだ。
とは言え、今我々に出来る事、50代が次世代にリーダーシップを譲るためには、現状の組織からの「実質的な自立」が必要だ。これは現行組織内にいるにせよ、外へチャレンジするにせよ、である。これが75歳(?!)まで続けられる誇りある仕事のベースになるのであれば、それに越したこと無い。これ無くしては50代にも生活とそれなりの夢があり、総論賛成、各論反対となることは目に見えている。
「実質的な自立」とは何を指すのだろうか?大きな事は言えないが、自分の仕事の範囲で考えてみる。一つは「専門家」となる道である。その分野のプロフェッショナルとして、社外の競争者と競え、協業できる環境を作る事である。それなりの経験とノウハウを持っているなら、それを「暗黙知」から判り易い「形式知」に変換して、後進に残す作業であり、それが社外ネットワークで連携してゆけば、それぞれの分野での大きな「親爺パワー」に発展する可能性が大きい。人を育てるというが、ほとんどが「暗黙知」のままであり、人に伝播してゆくには、セオリー化やイメージ化の努力が必要である。
昔の職人の徒弟制度の例が判り易い。暗黙知を伝承するには、基本的には四六時中一緒に親方の技を見て、習い、叱られ、適切なフィードバックを得て育ってゆく。これでは組織の中ではなかなか難しく、時間も手間も膨大にかかってしまう。
さて、私のイメージしているのは、企業をサポートするネットワーク化した「専門家集団」である。その集団に組織はそれぞれのニーズに応じて、仕事を切り出すのである。現在それぞれの企業に属する50代が自立的なネットワーク化してゆけば、まずそれぞれの企業のOB、OGとして優先的に案件取得が出来る筈だ。従って、その「専門家集団」は、様々な企業出身者の集まりなので、案件取得コストの安いそれぞれの企業の案件を連続的に連携的に継続させられる可能性が強い。いやむしろこれからグローバルに成長してゆく企業やビジネスを優先的にサポートしたいものである。
そういう動きが何らかのきっかけで活発化すると、社会全体としては、様々な分野の「専門家集団」が、地域を問わず発生してくる事になる。本来ビジネスとは、自分の顧客に対し、「価値提供」をし、その見返りとして報酬を受け取るものである。考えてみれば、そのビジネスの原型に戻るだけである。大企業にいるとその辺が曖昧になっている人も多いのではないだろうか?多少のリスクはあるにせよ、その緊張感や働き甲斐は実は掛け替えの無いものなのかも知れない。
ただ、来たるべき50代の専門家集団に一つ注文がある。それは、自分達の健康増進や心身を鍛える事、そして「粋でおしゃれ」である事に何らかの貢献をし、サポートする側面(ボランティアにせよ)を持っていて欲しい、という事だ。何故ならば、介護世代になる前の、「事前予防」が徹底されてゆけば、国民全体の医療費が圧倒的に削減される可能性があり、50代が粋で溌剌としていると、40代、30代にも好影響が期待でき、社会全体が明るくなる様な気がする。
今朝のNHK報道で、企業経営者がリタイヤ後、マラソンのサークルを活用して若者を積極的に誘い出し、現在かなり深刻化している「若者の自殺」を軽減させるボランティアを立ち上げようとされているのを拝見した。スポーツには意外な力が隠されているらしい。
勝手な事を書いて来たが、当人は真面目に考えいる。この仕事を40代から十数年やって来て、40代に譲る、しかも誇りを持って長く仕事を活き活きと続ける条件の一つとして、「よりプロフェッショナルに、自分の仕事やノウハウを「形式知」として判り易く後世に伝える」という事は自分自身の問題でもあるからである。
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