人材ビジネスを続けていると、好機に有頂天にならず、逆境に落ち込み過ぎず、と言う事の難しさとその大切さを如実に知るようになる。つくづく人生は思いがけない事の連続だ。従って平穏無事に淡々と人生を全うしている方々の、平凡の中の非凡さにも気付くことになる。「初めての転職」では思い通りにはならないことが多い。一年後、期待通りの実績が上がらなかった時、どう堪えて本来の力を発揮するか、など改めて学ぶ点が多いのが「初めての転職」である。
転職には様々なタイプがある。より良い立場や待遇を目指すもの、より大きいチャレンジを求めるもの、より安定を求めるもの、転職せざるを得ないもの、また、「より自由を得る」為のものというものがある。ある呪縛から逃れ、例え厳しい環境であっても、自由と開放感があればそれで良しとする転職である。人の人生の機微に他人の分け入る余地はないが、自由を求める動機も様々だ。ただ、その転職は意外に強い情熱に支えられていることが多い。長年じっと我慢されて来たものを発散したい、プライベートでも仕事でもある。
「自由」を求めた「初めての転職」は、少し厄介である。その方の実績や実力が申し分無かったとしても、初めての転職の場合、ある試練を経てようやくその企業に馴染み、本領を発揮されるというのが一般的である。強い情熱に支えられているだけ分だけ、免疫が無いので挫折した時が怖い。少し我慢することが出来れば何とかなるものも、強い情熱で周囲と対立してしまうリスクがある。不祥、自分の転職がそうであり、44歳の時に独立と自由を求めた「初めての転職」が現在の仕事であった。新しい環境に慣れるのにかれこれ2年半程かかっただろうか?紆余曲折はあれど何とか15年以上も継続している。
自由とは一体何なのか?を時々考える。私はこのような大きなテーマを掲げる立場にはないが、日常の中でも「ある制約」があってこそ自由を実感出来るのではないか、という思いが最近強くなって来ている。憧れた自由な環境に、実は思わぬ落とし穴があったり、制約に満ちた環境に身を置いてかいるからこそ、僥倖のような自由なひと時に出会えることもある。私のように弱い人間は、何かに縛られていないと持てる力を発揮出来ない気がする。凧は縛られる支点があって初めて大空を駆けるのである。糸の切れた凧にならないよう気をつけなければならない。
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