人生はなかなか予定通りにゆかないものである。また、甘んじて背負って生きねばならぬ荷物があることも多い。大袈裟かも知れないが、名前の存在もその一つである。よく何故こんな名前を付けてくれたのか?と悩んでいる人の話を聞く。大抵は「姓」ではなく「名」の方の悩みがほとんどで、「姓」はその家の屋号でもあり変更などは現実的ではない。自分の姓(下野)の由来について、よくは調べてはいないが、その意味するもの、について何かネガティブなイメージがあり、昔からあるコンプレックスを持っていた。一生この名前か・・・(笑)。ところが最近になって、それほど悪い意味でもないのではないか・・・と思えるようになって来たのである。
本来、下野(げや)するとは、ビジネスや政治の表舞台から去って、再び広い野に出て自らの価値なりを一から見直し、再起を図る、という意味がある。私自身、30年余りビジネス界に身を置いていて、従来のステレオタイプの価値観では世の中の流れや変化に対応できなくなることが多い事を経験している。10年だとまだ判らないが、20年のスパンで世の中の流れを見て行くと、世の中は一変しているものだ。昨日の勝者がその奢りゆえに、またその強みが足枷となって衰退してゆく様な事は、ある一定以上の年齢の方々であれば皆経験しているに違いない。
日本では長らく平和ぼけが続いてしまった様だ。が、今回の震災や電力事情、歴史的な円高、ユーロ不安、かつて最強を誇った家電業界の凋落傾向などなど、予見できぬ事が連続した一年だった。人生とは、予見できないものの連続であるという大前提に立って、自分自身を一旦「野に放ち」、権力や組織力や金銭や競争から逃れ、自身を矮小なものと再認識し再起を図るという姿勢、いわゆる「下野(げや)する感覚」というのは、実は重要でかつ必要な人生の知恵ではあるまいか?という考え方が出来る様になってきたのである。
ポストに執着し後任人事にまで強い影響力を及ぼすことで、その企業の成長にとって「老害」的な役割となってしまったり、仕事熱心すぎて、間違った方向に一生懸命頑張って部下を犠牲にして平気でいたり、また、その組織が成長期をとっくに過ぎていて衰退期から逃れられない運命を辿っている事が明確であってもまだ大きな組織にしがみついていて、自分自身の価値を市場に問うことが出来ないでいる多くの人々を知っている。
自分自身もそうであったが、皆、一旦ゼロクリアしてみることが恐くて仕方がない。ゼロクリアすると、実は不思議なほどの開放感があるのに・・・。しがらみから解き放たれ「魂の自由を得る」と言ったら大袈裟だろうか?これは大きなストレスを抱えている人にとってはプライスレスの価値にもなるだろう。小職も12年前に転職した最大の動機は社内の役員間のポリティクスであった。その狭間の中にいて、だんだん顧客に目を向ける時間が取れなくなっていった。ある時家内から、「最近、顔つきが悪くなったわよ。」と注意されたのである。これはいかん!とゼロクリアすることを試みたことを懐かしく思い出す。
考えてみると、それほど捨てるに惜しいキャリアは、世の中にはそれほど多くは無い。ある一時の成功は実は自分だけの手柄ではない。世の時勢や、他の多くの上司、同僚、部下、パートナーに支えられ、辛うじて実った果実なのではないか?翻って、大きな失敗や挫折も、その責任をすべて自分に帰さねばならぬほど、世の中は単純ではない筈である。今、どの様な価値に貢献出来ているか?をこそ問うべきであろう。
結果的にゼロクリアする方が再起するには有効な手段である事はおぼろげながらも判っていても、人々の現状に執着する力、変化を嫌う性向は恐ろしく強固である。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。」とか、「後は野となれ」など、故人は実に素晴らしい言葉を残している。順風満帆なだけが人生ではなく、苦境に立った時にどう考えることが出来、その中からまた立ちあがってゆけるかは、長く人生を生きて行く為の知恵であり、免罪符である。なんとそれらの事が「下野(げや)」という言葉にも深いところで繋がっている様な気がする。
ということで、下野(げや)する感覚というのは貴重であり、後進に道を譲り人を育てるという意味でも、なかなか味のある態度だなぁ・・・と最近はっと気がついた次第である。自分としては長年のコンプレックスから解放されたかの様で嬉しかった。熟年を生きてみるものである。最近まで気付かなかったのが、お恥ずかしい限りではあるが・・・
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