「反復訓練の中に、明日のイノベーションの生まれるヒントがあると云う。それはちょうど螺旋階段を登るようなものらしい。何故そのような構造になっているのか?繰り返す中から、技量はあるレベルに達する。無意識に出来るようになると、他のジャンルへの応用が見えてくるタイミングがある。その技量、価値の読み替えである。」とは、外山滋比古氏の言葉である。こういう話題は昔から興味がある。社会構造を変革する様な大きなイノベーションは、想像もつかないが、日々の我々の仕事のそれで考えてみようと思う。
基礎技術の反復訓練の効果は、野球の大リーガーの超美技がこれによって支えられている例えがよく使われる。名選手ほど足を動かし体の正面でボールを捕球する練習を繰り返すのである。超一流な人々は、スポーツ選手、芸能家、ビジネスのプロに至るまで、ほとんど例外なく基礎技術の反復練習を日々飽きもせず繰り返している。それにより、価値の読み替えによる他の事への応用が可能となり、小さなイノベーションが生まれる。その積み重ねが決定的な差別化となる、という。
プロセスを整理すると、①基礎の徹底的な反復、②無意識で高いレベルの動作が再現可能、③価値の読み替え、④他への応用、⑤小さなイノベーションの誕生、という順序となる。唐突ではあるが、例えて、眠狂四郎の円月殺法をイメージしてみよう。氏は日々の反復練習により何時でもどこからでも対応できる剣を研究した結果、円月殺法というゆっくりと自分を中心に円を描きながら相手に対するという、独自の剣法に到達した。判りにくいのが前述のプロセスの③と④である。自分流の勝手な解釈を許して頂くと、一見独特な形(⑤イノベーション)に到達するのに、自分にとっての理想形の構えの追及から、相手にとってどう見えると戦うのに有利か?という価値転換が行われている。絶えずゆっくりと剣が動いている事で、満々たる剣の殺気を消すと同時に、実は相手に対する催眠効果も狙っている。また、絶えず体を動かしている事で、咄嗟の動きに柔軟かつ機敏に対応できるという「他への応用」があり、円月殺法という無敵のイノベーションが起こったのである。こういう事を考えていると楽しいものだ。
難しいのは、このセオリーを日々の我々の仕事にどう活かし応用するかだ。また確信と胆力を持って継続出来るかということである。最近、天才とは継続力にあるのではないか、と私は思う。実際、ある勝負に臨んで、己の技術面が気になっていたのでは話にならない。相手や周りの環境に目が届かなくなるからである。無意識にある水準の技術レベルを、その環境に応じて要所、要所で効果的に繰り出してゆかねばならない。この様な臨機応変な適応性を確保する為には、所謂、技術の安定と大局観や勝負勘が必要となる。結局のところ、基礎の反復練習は技術レベルを無意識にある高水準に安定させ、更には周りを見回す余裕を与える。ただそれがイノベーションに繋がるかどうかは、その行動は何の為にやっているのか?という「強い目的意識と根源的な発想センス」の問題が大きいと思う。価値の読み替えと他への応用ができるかどうか、は既成概念に捉われない自由な発想力がKeyとなりそうである。それが勝負勘を生んだり、新たな発見(イノベーション)に繋がってゆくということなのだろう。
さて、我々が最初に考えるべきは、反復練習すべき「基礎技術は何か?」である。例えば私の仕事では、「人に会って話を聞く」事だろうと思う。その中で、相手の方への深い観察や洞察からどういうクオリファイとモチベーションをするかを、話しながら判断するのである。その後に反復練習である。考えてみれば、想定候補者を前に社内でインタビューの練習(ロールプレイング)をするのが基礎訓練なのかも知れない。基礎技術の訓練は「練習と本番」があるのである。丁度、ゴルフの練習場とコースの様に・・・。我々凡夫は、まず無意識にある水準の所作が出来るレベルになるまで、一見単純に見える基礎練習を続けることがなかなか出来ないのだ。例えばアプローチの練習である。途中で馬鹿にして辞めてしまう。そう言えば、イチロー選手のトレーニングは徹底的な体のストレッチから始まり、練習後、徹底的な体のほぐしで終わるのだそうだ。このルーチンに寸分の狂いが無いという。「飽きずに続ける能力」、その人間の持って生まれた能力というよりも、実はこれが超一流になれるか否かの分かれ道なのかも知れない。
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