ある事業経営者にお会いした。
10年程前に起業され、現在は年商300億円の上場企業である。大商社を辞め起業まで2年間程資金調達に時間が掛かったと言う。多くの種類の間接資材を取り扱うWebをベースにしたダイレクト・モデルの企業のCEOだが、面白い事をおっしゃっていた。「最小単位の組織(5~6人)の事業経営を経験されて来た事が無い経営者に、事業再生や新規事業の起業などは出来ない。」と言う。何故かというと、その時代はまだ組織が分化されず、何から何まで社長自らがインボルブする必要があり、何故、組織の分化や仕組みが出来てきたのか・・・という源流の知識がハンズオンで身に付いていて、組織が大きくなっても、事業を再生するという事は、その仕組みの成り立ちにまで遡ってその時点から再構築が出来ないと、難しいからだと言う。
これと同じ様な事は元産業再生機構の冨山和彦さんもおっしゃっている。氏は、変化に対応し今後の成長モデルをゼロベースで考える時、その企業が成長して来た歴史的背景や時代のニーズに想いを馳せる必要性を強調される。その際、顧客のニーズに応えるべき「最小単位」にまで分解して、組織の再設計をするプロセスを経ないと、難しいと言う。ビジネスモデルという言葉が独り歩きしているが、もとを正せば「企業にとっての継続的に儲ける仕組み」と定義できる、というのが氏の見解である。そう言われるとシンプルで、頭の中がクリアになってくる。新しいビジネスモデルを作らねば・・・という強迫観念に憑りつかれる様なものでは無く、時代に則した「継続した儲ける仕組み」と解釈出来れば、その方向に焦点を合わせやすくなる。
確かに大企業でそれなりのキャリアを経て経営幹部になられている方々も、極く小さい組織の経営をされた経験のある方は比較的少ないと思う。入社時点で既に組織分化されている事が「当たり前」なので、何故その様に組織が分化されて来たかを自ら問う事は少ない。本来組織とは、1プラス1が2以上の力になる為に作るもので、企業の場合、「1円のキャッシュを確実に積み上げる為の仕組み」である筈なのである。そうなっていない企業のケースの方が多い様に思う。だからこそ、企業再生の時点で原点の小組織に立ち返って考える必要がある。小職も外資系大企業に20数年在籍し、その後現在の小組織に転職し10年以上が経過するが、社長、マーケティング、営業、人事、経理などを兼任する中で、それらが「キャッシュを積み上げる為」にどう連携すべきか?を考えざるを得ない実ケースに直面する事が多い。非常に重要な事はトライ・アンド・エラーを即座に実施し評価できる点である。
原点に返って考えてみれば、どんな部署も、自分にとっての顧客(または後工程の部署)に対し価値提供をし、それが連鎖してフロント側から最終顧客に対し価値提供が行われ、それが評価を得てその対価がトップマネジメント側にプールされ、毎月25日にある「公平の基準」によって割り振られ、従業員の給与となって振り込まれている。小組織だとそれが手に取るように認識でき、顧客への価値提供とは一体どういうものか?を考えさせられる。今月は特に顧客への貢献が無かった月などは、給与をもらうのが何か後ろめたい感覚が自然と醸成されるのである。
お恥ずかしい話だが、私は前職では給与をもらう度に、この様な発想を全く持ちえなかった。当たり前の事なのだが、「当たり前の事を当たり前の様に、粛々と実行する事」は実は難しい事だと解って来たのは50歳を過ぎてからである。相当の努力や工夫や訓練を積み重ねないと「当たり前のこと」を継続出来ない。ましてや大組織の場合、階層化され職掌が分掌されていて地域も分散化されているので、それぞれの部署に「当たり前」感覚を浸透させる事は思いの外難しく、某大手コンビニエンス企業は毎週月曜日に莫大な費用を掛けて、全国の支店長を東京に集めて朝礼するという。その点、小企業の方が圧倒的に優位となる筈なのである。変化の激しいグローバル競争下ではスピードとタイミングは死活問題である。それでもなお「寄らば大樹」という大企業信仰は日本人には強く根付いている。ある著名な靴関連でご活躍の小売業経営者から、昔、大商社を辞め名も無いベンチャーに転職した時、母親は一晩泣き明かしていた・・・という話を聞いた。私を含め多くの日本人の感覚はまだまだそうなのだろう。
ある過渡期においては、むしろ「大企業」に漫然と在籍している事そのものがリスクになる事が有り得る、と考える方が妥当ではないだろうか?何故ならば、体が大きいと方向変換が機敏に行えない。再び成長軌道に乗るまでかなり時間が掛かり、その間何らかの形でリストラが必要なフェーズが継続するので、若い人材にポストを与えチャレンジさせる事が出来ない。分厚く層を成した50台、60台のシニア層が退かないと、30台、40台の人々にチャンスは回ってこない。そろそろ我々は、良い大学を卒業しブランドのある大企業に勤め、真面目に恙なく仕事をやっていれば、ある年齢になればある立場を得、定年後は安定的に暮らせるのではないか?という前時代的な強い呪縛から完全に解放されるべき時なのではないか・・・と思う。秀才が揃い、MBA出身者が大勢いる大企業が、当たり前の事を当たり前に行えず、揃いも揃って危機に瀕しているのである。ほとんどの大企業は戦後の混乱期を経て、1960年前後に志のある個性豊かなベンチャー経営者が創立したものである。当たり前のことだが、創業者は皆、5~6人程度の経営を身を持って体験しているのである。
ところが、現在大企業に勤める40台、50台、60台の人々のほとんどは、入社時点で既に大企業である場合が多く、グローバル化も諸先輩が身を持って推進してきた訳で、自らは主体的に関わっていないケースがほとんどではないだろうか?従って、職掌が分割された自分の仕事の範囲内での達成感であり、なかなか会社全体や事業全体をマネージしたり、グローバル感覚を持ってビジネスを推進するという体験を持ちにくいのである。しかも、キャッシュフローを気にして、自ら資金調達して胃を痛くするなどという体験はほとんど皆無であろう。そういう分厚いミドル層、シニア層を持つ大企業のほとんどがグローバル化を含めた「事業再生」を求められているのが、現在の日本の置かれている状況なのである。経営者の志とグローバル感覚を持ち、しかも小企業のハンズオンな経営感覚を持ったリーダーが求められている。それもトップとミドル層の双方に必要なのだ。そういう両輪の人材無くして、とてもとても「明日の日本を創る」などという事は無理だろう、と痛感する。
悲観的になっている訳では無く、どうすればよいのだろうか?という点である。私見ではあるが強く想う事がある。その一つは、特に「心、技、体」の3拍子が揃った35歳~40前後の人々が、世の中の同世代の人々(特にグローバルな視野で)と、自分をベンチマークしてみる気概を持ち自身の市場価値を精査する事、企業側もその世代の外部の優秀な人材を招いて適正な競合環境を整えること、シニア世代もこれに全面的に協力すること。もう一つは、「30台の人々が経営に参画する特別プロジェクト」を多く起こすこと、若者が「経営会議に参画する」こと、特にキャッシュをマネジメントさせることで、「継続的に儲けられる仕組み」づくりの訓練を積むこと。これである。これは放置していた「世代交代」というほとんどの日本企業が抱えている根本的問題に関連しており、日本の継続発展を考えると今こそ、「決断」し「実行」に移すべき重要施策の一つであると思う。
これらが勿論すべてを解決するものではないが、何かを犠牲にしてもやるべき事は何かと問われれば、これだ!と言い切る確信の様なものがある。人生でおそらく質的にも量的にも一番働くべきタイミングが、35歳~40歳前後であり、この世代が必死の形相で日夜頑張っていない社会に明日は無い。この世代の人々の中で、もし余裕を持って人生を楽しんでいる方々がいれば、その事自体悪くは無いが、その後の50台、60台の人生で取り返しのつかない禍根を残す様な気がするのである。
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