最近、ある製造業から依頼を受け、製造責任者をお世話した。「誠実さ」が背広を着て歩いている様な方であった。大変失礼ながら、一見風采がぱっとしない50前後のおじさん風とも言え、外見に拘らないというか、敢えて「どん臭い」雰囲気を作っている。語り口が独特な臨場感があり、「いやー、下野さんはいつもおしゃれでバリっとしていて羨ましい。私なんぞは足元にもおよびませんし、第一おしゃれしても似合わないんですよ。」などと人を持ち上げて、自身を必要以上に卑下する習性をお持ちであった。学歴もご立派で、大手電機メーカーで長年勤務し、その間、特待生としてアメリカの一流大学院でMBAも取得されている。その後、海外赴任を幾つかされた後転職され、ある製造業の製造最高責任者をされていた。
私は日頃から、「人は見た目が9割」という意見には賛成で、特に男性の場合は、過ごしてきたキャリアが顔や雰囲気に醸し出されてしまうのである。私は生来おせっかいな部分があり、また、クライアント側の経営陣も全体の雰囲気を重視する文化であった為、その候補者に、いろいろアドバイスを行ったものである。あまり自分を卑下する傾向はほどほどにされた方が良い点、また服装の最低限のマナーや、インタビューの受け答えの基本的なことなどなどである。「少しどん臭い部分はあるが、実力はありそうだし、実直そうなところが信頼できる」というクライアントからの評価で採用がめでたく決定した。
数日後、その候補者と入社前の軽いお祝いの宴席を設けた。少しお酒が入ったせいもあろうか、弊社のリサ―チャーの前で、彼の独壇場が始まったのである。そう、自分を卑下するエピソードのオンパレードとなった。例えば、今回の転職に当たり迷っている自分を見て、家内から「器の小さい人ねぇー。昔は、「洗面器」ぐらいかと思ったけれど、今はまるで「おちょこ」だわ。」と言われてしまった・・・とか、入社日が近づくにつれ、自分の「猫さかげん」が周囲の人にばれてしまい、なんだ「(虎ではなく)猫だったんだ」(大したことの無い人なんだ)、と烙印を押される夢をみて、心臓がバクバクして最近眠れない・・・とか。如何にご自身がドジで、格好が悪く、小心者で、しかし案外欲が深いことを具体的なエピソード付きで連綿を語られるのである。
それを聞いていて、私はもしやと思ったのである。「ははーん、これは確信犯だな。」と。
分析するのは野暮なことではあるが、エクゼクティブ・クラスでこの種の人材にあった経験があまりなく、自分としては驚きであった。何とか自分を良く評価してもらおうとするのが人の常ではないか・・・
自分に対する深いプライドを持ち、周囲からある一定の評価を受けていることを自覚しつつ、対人関係においては自分を必要以上に卑下し、相手を高めることによって、安定した自分のポジションを得ようとする人々がいる事を、私はいい歳をして知った。決して悪い意味ではなく、その卑下の仕方が堂に入っている。風采も冴えないおじさんを装っていて、時々ドジなことも平気でする。その後序序に実力を示しそれに周囲がどう反応するかを楽しみにしている、どちらかというとあまり趣味の良くない人種ではある。(笑)
私が、「xxさん、そのスタイル、実は確信犯なんでしょ。」と水を向けると、いよいよお酒のピッチが上がり、嬉しそうに語り口はフル回転となった。
特に製造現場の人々に対し、上から物を言う様な態度だと、なかなか本音を語ってもらいにくい。相手につけいる隙を与えるのも、一つのリーダーとしてのコミュニケーション・スタイルではある。生き方のスタイルまで昇華されていれば、当方も文句は無い訳である。あの風貌とスタイルで、アメリカ仕込みの流暢な英語が飛び出してくるのだろうか?ひょっとすると、日本のグローバル製造業はこの様な方々の圧倒的な現場感とお人柄に支えられて来たのかもしれない。私共の見方が扁平であった・・・。
人生は複雑であり、人とは判らないものである・・・
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