私の好きな映画の一つに、宮崎駿氏の「紅の豚」というアニメがある。これはアニメだがなかなか示唆に富む立派な映画だな、とかねがね思っている。ジ―ナというフランス女性に、アメリカの男性の飛行士が恋の告白し振られる場面があり、実はこの女性、ある魔法で豚(人間豚)にされてしまった主人公の男性飛行士(やくざな賞金稼ぎであるが、何故か独特の魅力がある)への恋に賭けるか否か?を考慮中である。彼女から振られ、かつその事実を知ったアメリカ飛行士は、「何故、あんな豚野郎と・・・?」それに応えて、彼女の一言、「フランスではね。人生がもう少し複雑に出来ているの。いい子だからアメリカにお帰りなさい。」と彼女は言うのである。私はこのくだりが好きである。人生の複雑さの理解は人を魅力的にする。これが判らないと、もてないばかりか、「逆説の真」に打ちのめされることが多い様な気がする。
例えば、ある男性が意中の女性に対して、長年、誠心誠意尽くし精神的にも経済的にも支えて来た、と仮定しよう。だからといって、意中の女性が簡単になびく程、人生は単純ではない訳であるが、少なくとも男性にとっては、「これだけ与えてきたのに・・・」という様な思い込みがあるケースが多い。これが何故思い込みかと言うと、男性は「与える喜びを、与えられて来た・・・」という側面を忘れ果てているからである。逆説の真である。
また、新しく組織、チームを形成する時に、よく我々はクライアントから求人の要請を受ける。クライアントはある水準以上の人材でないと当然ながらクオリファイしない。出来れば優秀な人ばかりでチームを作ろうとするのである。しかしながら、皮肉にも優秀な人ばかりのチームでは、お互い警戒し、全体の雰囲気がキリキリしてしまい、まとまらないケースが多い。中には「ぼんくら」の存在が必要なのである。優秀な人々は、彼らに感謝すべきで、彼らの存在無しに自分達は突出した存在にはなれないのである。従って、そのチームの人柄構成をよく分析して、その人なりの存在感を保持し、まずは「限られたリソースを最大限に使い切る」、というスキルがマネジメントには求められることになる。これも逆説の真だ。
ある本に、「世の中、善人だけでは幸せになれない。」というのがあった。強烈な逆説である。自身を善人だ、誠実だと思いこんでいる人は、特に日本人に多いのではないか?と密かに私は疑っているのだが、善人の誠意が幼稚な正義感と同義だったりする事が多く、はたの人間が本当に迷惑する事はよくあることである。間違った方向にくそ真面目な程、迷惑な話はない。最近の新聞記者、政治家、大学の先生などによく見られる現象である。悪人は自分が悪人であり、欠点だらけである事を認識し、行動に抑制力があることが多い。時にここ一番の泥仕事で活躍することもある。善人を際立たせ、時には悪人の必要性も認識させることが出来る。善人も謙虚になる訳である。
「良い経営者は、地獄に至る道を知ることで、初めて皆を天国に導ける」だったか記憶が定かではないが、その様な言葉に出会った事がある。確かにプロジェクトが遅滞し、キャッシュに終われ、借金、リストラをし、オフィスも切り詰め、最小単位の経営を廻してみて、はじめて我々の給料が実は顧客から支払われている事を痛感するものである。毎月25日に給料が支払われ、ボーナス時期にはキチンとボーナスが振り込まれる、通常の経営の有り難味も体得できる。残念ながら、「不幸」を知らないと「幸せ」であるという事も認識出来ない訳である。
世の中は、なんと「逆説の真」に溢れていることか・・・と思う。
最近のコメント