「キャリア」と「ノンキャリア」という言葉は、感覚的に嫌なニュアンスが付きまとう。
一昔前には、大学卒の総合職志向をキャリア組、そうでない者をノンキャリア組と分けていた。大企業が女性の総合職を採用し始めた頃から、だんだんキャリア・ウーマンが誕生し始めたのだろうが、昔から女性のキャリアは存在していた。一体何が違うのか?現実面としては、給与水準が異なると言われる。かつて経営コンサルタントの勝間和代さんが、女性の自立と年収水準の話で、年収600万円を超えれば、女性一人で子供一人をようやく養ってゆくことが出来る・・・と書いていたが、これを読んだとき、やはりそうだったか・・・と思ったものである。一般的には、ノンキャリアの場合、年収600万円を超える方にはなかなか遭遇しない。しかしながら、今回、話題にしようとしているのは、少しニュアンスが違う。
「キャリアを作る」・・・所謂、「キャリア形成」について書きたいのだ。
一体何と言ったら良いのだろう?総合職と一般職なのか?いや違うと思う。我々エグゼクティブ・サーチは本当の意味で「キャリアを形成」して来た方、これから「形成しようとしている」方を対象者としている。本来、キャリアとはCarry+ableが変化したものではないか、と小職は考える。すなわち、環境が変わっても「持ち運び」出来るスキル・セットや人間力、リーダーシップなどを指す。
出身大学や一流企業や管理職レベルがキャリアかというと、それは形式であって本質的でない事が多く、最近「キャリアの様な格好をしたノンキャリア」が多い様に思う。一方で、「一体、何をどうすればキャリアは形成されるのか?」という抜本的な質問を候補者の方々から受け、答えに窮することがある。
実は、この話題、出来れば避けたい所謂タブーな話の様である。が、小職としては、重要なエレメントを含んだ議論であり、いつかどこかで書かなければならないだろうと考えていた。何故なら、キャリアを形成するプロセスに入ってゆく、その分かれどころが実に微妙だからである。最近も弊社のリサ―チャーの採用活動で数十人の年代の違う方々と面接したが、やはりこの問題は触発されたIssUEであった。当社のリサ―チャーは、人材を探索するのが主な仕事であるが、一般職では無い。かといって完全な総合職とも言えない。ビジネス責任や持ち運べる専門性技術という意味で、中間の微妙な立ち位置なのである。候補者は30代、40代、50代の、事務職、秘書、営業事務、総務・人事経験者、などが多かった。皆さん、最近の数年間は派遣や契約社員で2年毎ぐらいに職を変えている方が圧倒的に多かった。しかしながら、彼女らのほとんどが、キャリア志向なのである。結果的に一人の採用も決定できなかったが、今後定職を得て年収を上げ、管理職としても働き、一生何らかの貢献をして仕事を続けたい、という人が圧倒的に多かったのである。不採用の理由としては次の様なものである。
・ビジネスに絡む(売上、利益、コストなど)仕事の5年以上の継続経験者が少ない。
・仮に定型業務でも、創意工夫を積み上げて、イノベーションを起こすという体験が希薄。
・「仕事を通じて自分を成長させる・・・」という事を具体的にイメージ出来ない方が多かった。
・物事を調査し、仮説を立て、プランを立案し、承認を取り、実施するという一連のサイクルを意識に訓練している方が少ない。
・具体的に年収を上げる方法論についてアイデアを持っていなかった。
という事は、一流大学を出て、一流企業の管理職で活躍している方々の中にも、キャリアとは言えない方も大勢存在する訳である。上記に挙げた資質や訓練を積んでいない。大企業ならではの縦形列の職掌分担の中で、自身のスキル向上のプレッシャーの中で生き抜いて来た訳では無い方である。また、一方では、所謂事務職の中にも上記の何点かを強く意識し、どんな環境でも社内の顧客に対して安定した価値貢献が出来る方々も存在する訳で、この辺が説明に困るところなのである。
「変わってはならぬもの、変えてゆくべきもの」
環境が変化しても変わらぬ「大切な行動規範」や「パターン化された行動様式」を持ち、逆に変わってゆかねばならぬ事に対する「柔軟なイノベーションの発想」の双方を併せ持って、自分の顧客に対する価値貢献にとことん拘って仕事をしているプロフェッショナル、といったら判るだろうか?TVの「相棒」という番組で言うと、警察庁の中のキャリア組とノンキャリア組とは全く関係なく、水谷 豊扮する刑事がキャリアに近い具体例とも言えるかも知れない。また、現在売れている、「もしもドラッガーが野球部のマネージャーだったら・・・」のマネージャー役の女性もキャリアである。我々は常に彼や彼女の様な人材を探し求めている。水谷氏の場合には閑職に追いやられている様であるが、現実的には、彼ぐらいの卓抜なスキル・経験を有するものは、やはりかなりの確率でマネジメントとして活躍しているものである。
「積み上げる」「検証する」
キャリアを積み上げてゆくという表現に端的に表されている様に、なかなか身につかないスキルなりを、「反復訓練して身に付け」、「その土台の上にまた別のものを積み上げてゆく」、という側面がある。すなわち、この積み上げには少なくとも数年は掛かり、また、一旦身についたと思われるスキルを全く「別の環境で試して検証する」、というプロセスによって鍛錬してゆく訳だ。従ってそれ相応の期間と環境が必要である。しかしそれは、あくまで個人のスキル形成に過ぎない。
「匠の伝授」「チーム力への転嫁」
それに加え、汎用化し応用性の高いスキルは、「人に伝承出来て初めて組織としての力」となる。人を教育する際、苦労の上で如何に己の理解が不十分であるか、に気付く事はよくあることである。自分なりのスキルを汎用化し、その応用性を鍛える、そういう意味で、キャリア形成には、そのスキルを組織力に転嫁というか昇華させることが出来たか?という点が問われることが判る。何故なら、1+1を2以上に出来る可能性があるから「組織」というものが存在することを考えると、それをチームとしての力に転嫁できる人材には、給料を高く支払えるのである。また、キャリア形成には、反復訓練、異なる環境、汎用性への昇華、伝承力といった要素を鍛える為の、「環境と期間」が必要であり、グローバルなスキルともなると、海外で異人種の協業してみる経験が必要だという事が明確になって来た。さて、この様な前提条件を考えると、短期間での転職や、必要以上の長期間同じ環境での仕事の継続、組織としてのプロジェクトではなく、あくまで個人に依存した専門性などは、スキル形成には繋がりにくい事が自明となる。一流大学、一流企業、ポジションなどがキャリアを形成するのではなく、それはあくまで結果論で、本質的には前述の様なことがスキル形成の前提条件となる。
「自己学習能力」
第三教育とも言われる。第一教育は人から教わること。第二教育は人に教えること。第三教育とは、自分で自分を教育する事を指す。この資質がどういう経緯で身についてゆくのかは、千差万別であろう。しかしながら、何か人知を超えた大いなるものを感じ、驚き、謙虚になる…または「上には上があるものだなぁ」という感覚が必須である。「素直」で「謙虚」な姿勢の有無は実は決定的に重要であることが再認識されて来た。どんな環境でも、「たゆまず学び続ける能力」である。
「発想を広げる」
どんな事にも興味を持って「観察」する。広く一般知識を得る為に本を読み「内省」する習慣を持つ。時々、自分とは全く違った業界で活躍する友人と、自由にディスカッションする機会があれば最高である。この際、気を付ける事がある。お互い尊重しあい批判しないことである。この小さな単純なルールを守ることで、学びと発想の泉は無限に広がってゆくものだ。「僕はこう考えるが、なるほどそういう考え方もあるか…面白い!」謙虚に面白がることで、なんと精神は自由になるものだろう。この様な友人が持てる人は幸いである。逆に、あげあしを取る姿勢が見え隠れすると、発想の泉はあっという間にしぼんでしまう。
「個人の資質」
一言で言うと、仕事へのコミットメントである。日本語で言うと、「覚悟」と訳すべきだろうか?この仕事で、期待される価値貢献が出来なければ、自分の将来は無い・・・というぐらいの覚悟という意味である。今時の若い人々は一流企業に就職しても3年で辞める人の割合が50%を超えると聞く。もったいない話である。一つには、この若者をまずは立派な社会人に教育し、企業人として自立させなければならない、という正当な覚悟を持った経営陣や先輩社員が激減しているのではないだろうか?その為には、まず、若者を褒め、かつ叱れなければならない。リストラによりマンパワーが減って、とても若者を育てる時間を取る余裕も、育ってくるのを我慢している余裕もない・・・という方は多いのかもしれない。しかし、個人の学ぼうという資質が何と言っても第一である。どんな環境でも伸びる人は伸びる。個人の資質とは、単なる頭の良さではなく、好奇心や広い意味での人間性であり、大学受験の受け身のスキルではなく、本質的なものを追及する姿勢である。また、困難に際し取るべきリーダ-シップである。これは多分に育った家庭環境が影響する事は否めない。一般的に恵まれた環境だけでなく、恵まれない環境をバネにして苦労してきた環境も含めてである。
大学とか企業名とかポジションとか、所謂「キャリア組」と呼ばれているものに本質はないのである。「キャリア形成」に注意を向けて努力してきた結果、たまたまそういうポジションにいる優秀な方々もいるだけである。せっかくの人生である。仕事を通しての自身の「キャリアの形成」にもう少し関心を持って、現在の仕事を振り返って頂きたいものである。結果、与えられた能力をもっと世の中の為に活かすことが出来れば、日本の将来も希望が持て、第一、皆、楽しいでのではないか・・・
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