閑話休題。今回は趣味の分野の話である。
「50の手習い」でロードバイクを始めて2年弱で、最近ようやく自分なりのフォームが出来て来た事を実感する体験をした。勿論、素人の「気付き」ではあるのだが・・・。そのきっかけになったのは、公式大会に出場し何とか完走する中で、一番辛い登り坂の登はん時に、「もしや・・・」と思ったヒントだった。
八ヶ岳の山麓、20kmぐらい続く12%から最大斜度16%の厳しい登り坂・・・、八ヶ岳の大会での最難関場所である。余りに辛いので、何度か足を着こうとした。「もうだめかな・・・」と思った時、苦し紛れにある事を実行してみたのである。それは、上り坂ではどんなに苦しくとも「下を向いて自転車を漕いではいけない」という「教え」である。マラソン選手などをみても、苦しい時、何か前方の地面を見て走っている様に見える。苦しさに耐えている時、人は思わず下を向いてしまう。
自転車の登はん時、顔を上げ坂のてっぺんを見ながら走るのは容易なことではない。まだまだ坂が続くのが見えるからである。意地で顔を上げて暫く我慢をした。するとなんとなくふっと体が軽くなり、「体全体を使って」登れる様な、背骨で引っ張り上げる様なイメージが出来たのである。後追いで説明を加えると、坂を登るとき顔を上げると背筋が伸び、丁度背骨を通じて後頭部と尾てい骨が一本の弓の様になって、その弓をしならせながら登ることが出来るのだ。背筋と腹筋の連動が必要となってくる。
チータは動物で最速だが、実はその秘密は「背骨の柔軟性」にあることをNHKの番組で見たことがある。脚力で走っているというよりは、背骨を弓の様に極端にしならせながら走っている。これが出来れば、自転車走行で解釈すると、ふとももの前の筋肉(大腿四頭筋という乳酸がたまり易い筋肉)を温存しながら、坂を登ることが可能となる。この大腿四頭筋に乳酸が溜まってペダルを漕げなくなる状態を、「足が売り切れる」という。登り坂にはこれが致命傷となる。
その体験を拡大解釈して、普通の平地走行に活かせないか?と思い立ち、早速試してみた。自転車が上り坂で斜めになっている場合には、顔を上げると拮抗作用があるので、よりその効果を実感できる。だが、平地走行になると、わざわざその様な姿勢を取らずとも乗れてしまうので、かなり腹筋と背筋を意識しないとこれが難しいのである。この点は頭では判っていても、なかなか実感として体得できない。競馬の騎手の姿を連想して頂くと判り易いかも知れない。腹筋と背筋で体を吊りあげていて、あまり馬に体重をべたっと掛けない様なイメージ、といったらいいだろうか?腹筋に力を集中すると、肩の力は自然と抜けてゆく。最近よく壮年者が、肩に力の入った厳ついフォームで、腹筋に全く緊張感なく、しかもガニ股でロードバイクに乗っているのをよく見かけるが、あれは正しいフォームの真逆であり、著しく効率が悪い・・・。
ここでのポイントは、何故、自転車乗りの上級者は、背中を猫背の様にして、一見縮まったような前傾姿勢をして顔をぐっとあげて走っているのか?という論理的な根拠が自分なりに「理解できる」という点である。また、それを自分なりの解釈で噛み砕いて「体得する」という一歩深い理解が得られたという点だ。また、どの様な状態の時にこそ、このフォームでいることの威力が発揮できるか?という、ある意味での「洞察」も可能である。世の中には、一見判った様で判っていないことは意外に多い。小職などは、この歳になって、「自分で当初「こうと思い込んだもの」の8割方は間違っている。」と自信を持って言えるのである。(笑)自分の理解が足りない、あるいは深く思い至る過程を飛ばして、「そう思い込んでしまう」ことが如何に多いか?という事だろう。
この「理解」→「体得」→「洞察」というプロセスは、実は重要で、応用範囲は広い。
ディテールの積み重ねと反復により身につくのだが、身についたかどうかは、他人から指摘されるケースが多い。特に、限界まで追い込まれた時に、初めて座学での論理性の深堀りが行われ、その合理性が体に沁み込む段階がある。八ヶ岳の最難関場所に感謝しなければならない。過酷な状況(量と質において)に追い込まれないと身につかない、あるいは気付くことが無い、技術というものがある。それを経て「体得」という段階に至るのではないだろうか?美しいフォームは力強く、無駄がなく、合理的である。スポーツにおいても、趣味においても、仕事においても、美しいフォーム(姿勢)を身につけたいものである。
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