「転職のきっかけ」にはどの様なものがあるのだろうか?私共は、よくプッシュ要因とプル要因に分けて考える。プッシュ要因とは、現職の環境から出ようというモチベーション、プル要因とは、新しい仕事に対する魅力(モチベーション)である。両者がバランス良くシェイクハンズ出来た時に転職が成立すること知られている。逆に言うと、どちらか一方だけの場合には現実化しないことが多い。
プッシュ要因として、判り易い動機は、会社の将来性に不安、上司と上手くゆかない、裁量権が無い、キャリアパスに限界を感ずる、やり尽くし感があり新しいチャレンジを求めている・・・などが多く聞かれるケースである。プル要因としては、会社の将来性が自身のキャリアパスにとって有益、裁量権の拡充、事業への意欲、経営者志向、社会貢献などが挙げられる。人にはそれぞれの事情があるので、どれが正しくどれが誤っているという事では勿論ないが、我々のキャリア・コンサルティングには、競合となるであろう人材とのベンチマークや、人材を評価する様々なケースのテンプレートなど、ある客観性が求められる。しかしながら、我々の意見は、どんなに優れたコンサルティングをしたとしてもあくまで参考意見であり、転職は候補者個々人が深く考え行動に移すべき問題であることは論を待たない。
特に我々は現役のエースを主なターゲットにしているので、最初から転職を前提としていないケースが多く、ともすると「転職」を無理強いしている様で、矛盾を感ずることがある。しかしながらよく考えてみると、現実はそうでも無いのである。何故ならほとんどすべての候補者には、「キャリアに対する潜在的な欲求」があるからである。判り易く言うと、「良い仕事をして良い立場を得たい」という健全な欲求である。
社内外のどこで働くとしても、常に「自身の市場価値を精査しておく習慣」は欧米など海外では顕著である。個人主義の徹底のせいだろうか?プライベートでも幸福な夫婦間でもいつ愛情が冷めるかは判らないという前提に立って、来たる時に備えて男女とも常に心身をブラッシュアップして自立していようとしている様は、ある意味我々日本人には参考になる。この辺の事情はかなり日本人のメンタリティとは異なっていて、善悪の問題ではなく、過酷な現実を見据えて行動する習慣は、どうも最近の日本人は幼稚化していて希薄である。政治家もマスコミもビジネスマンも、「表面的な善の側について、一見悪に見えるものをよく吟味せずただ批判している立場にいることが出来ればそれで安心・・・」という様なひ弱な輩が多い様に感ずる。グローバル市場の中で、善悪の判断も価値観や習慣の相違も存在する事を認めて、自己を客観視する訓練は重要である。
さて、45歳を前後して大きく価値観が変わってゆくだろう時期の候補者を見る度に、私は気になるのである。特にはじめての転職がこの時期になる方はよけいに気に掛る。是非成功して欲しいという気持ちとリスクも高いという気持ちと・・・。20歳台、30歳台の転職は、勿論本人にとっては重要であることは勿論ではあるが、ある経験やノウハウを蓄積した上での40歳台の転職は、それなりの理由とバックグラウンドを深く理解する必要があり、また、ご本人にもある「覚悟」が伴っているケースが多い。「受ける」側から「返す」側に転換してゆかねばならない年代である。何をどこに返すのか?は人それぞれではあるが、返したり、育てたりする事に喜びを感じ始める年代である。だからこそ我々としては慎重になる。何故かと言うと、転職経験者は容易に想像できると思うが、求められるスキル・セットが完璧でも、行先が成長企業なり優良企業であり年収がアップしたとしても、一回目の転職は何かと複雑な要素が絡んでくる。意志決定のプロセスやスピード、カルチャー・フィッティングなど、個人のスキルとは別な要素で躓くケースも見られるからである。
しかるに、リスクはあるものの、自身の経験やノウハウを社会に還元したり、若い世代を育成するという「人生の中でも最も意義深いと思われる転職」が、この45歳前後の転職だと小職は考えている。ただ、自分自身の出世や立場、処遇のより良い条件の獲得よりも、むしろ「お世話になった自分を世に返す」度合というか、社会性が強く出た性格の転職の方が成功する確率が高いのは皮肉なことだなあ、とも思う。
もう一つ、私の体験を通して転職当時を振り返ってみて気付くことがある。私の人生の初めての転職は44歳だった。以来10年余りこの仕事を続けている訳であるが、当時22年間務めてきた企業を去るにあたりずっとある言葉が頭の中で回転していた。それは、もとGEのジャック・ウェルチ会長の言葉だったと思うが、「Control your destiny, or someone else will.」である。意訳すると、「自分の運命のたづなは自分で握れ、さもないと一生他人に左右されて人生を送ることになるだろう。」という様な意味だろうか?これが自分の強迫観念と言ったら少し大袈裟かもしれないが、ずっと頭から離れなかった事を記憶している。
手前味噌ではあるが、この様な覚悟は重要で、必ずしも転職は容易いことではないが、たとえ過酷な体験に出会っても、自分の判断で自分の人生を生きようと思った結果ではないか・・・と諦めもつくし頑張りも利くのではないか?と思うのである。ある哲学者が、「生きる為に食べるか?食べる為に生きるか?」と簡潔だが強烈な言葉を残している。生活の為に働くこと自体が悪い訳では勿論ないし、そうせざるを得ない場合も理解できるのだが、よりよく生きる為に働く、すなわち自分を最大限に活そうとする気持ちがあれば、少しは社会にもお役に立てる度合も多く、結果的に転職は成功する確率が高い様な気がする。
さて、貴方はどちらですか?
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