長い人生には、何度か大きな決断のタイミングがある。何故か二者択一の決断を迫られることが多い。考えてみれば、毎日が決断の連続である。その中でも、ミドルからシニアの転職はかなり大きな決断だ。その決断は、100年現役時代と言われ年金も当てにならない環境では、60代、70代をどんな仕事でどう押して行けるか?に直結する可能性が高い。
年功序列や終身雇用は既に死語になっている感があるが、日本の大企業には、未だ根強くそのカルチャーが残っている場合が多い。その大企業の多くが、グローバル化、世代交代、飽和化した日本の市場環境に対応する為の企業改革を迫られている。しかしながら、マインドセットとして、終身雇用で会社に守られるべきだ、と考えている人々は依然として多く、企業改革と言ってもピンとこない。自分の身に解雇の危険が迫っても、何をどう変えれば良いかが分からない。
大企業の分業制で、経営全般の経験は無いが、ある分野の専門性があるケースはまだ良い。その場合も、専門性が他の環境でも通用するスキルに昇華されているか否かが問題だ。自分のスキルを客観的に見つめ「自立」させる事が求められる。それが無く、転職が初めてというシニアな方々も多く、60代になって自立してみよ、と言われても、現実的にはなかなか難しい。
そういう意味で、良い転職の機会に恵まれる方々はまだ極く少数である。常に自分の市場価値を点検し準備運動をしている。そして、何よりも特長的なのは、自分にとっての「最重要課題」を認識している事だ。これがあれば、何を捨て、何を犠牲にするかという取捨選択が可能である。当たり前の事の様だが、当たり前を堂々と実行出来るのは一つの才能である。あるエッセイで、「最重要課題を決断する際には、ある法則がある。」という文に出くわした。それは、最もやっかいで、最も難しく、最も面倒な選択肢が正解だと言う。現職で満足行く仕事が順調に廻っている様でも、ともすると、自分にとって「本来のチャレンジ」では無くなっている場合、それは退歩である。「狭き門より入れ。」などとも言われるが、エクゼクティブサーチというビジネスを長く経験し、そのエッセイの言葉には納得感がある。
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