人は様々な局面で、様々な悩みや課題の解決を「その場しのぎの対処療法」で対応しがちだ。しかし、その後、本質的な対応策を改めて考え実行している方々はごく少数であり、その方々は近い将来何らかの形で成功するように思える。考えてみれば当たり前の事である。悲しいかな、当たり前の事が当たり前に出来ないのが、私を含め大半の人々である。淡々と当たり前の事を継続する難しさや大切さには、若い時分にはとんと気付かなかった。これは年の功と言うものかも知れない。
時代の変わり目で何かイノベーティブ(革新的)な事や特別なことをしないと生き残れない、という強迫観念に近い感覚を持つ方は多い。しかしながら、大半のケースは、「当たり前のことを徹底して行う事」で解決する。逆に言うと、これこそがイノベーティブな事なのだ。仕事のコア、いわゆる重要な部分は、時代が変わっても変化しない。「変わらぬ当たり前なことの重要性」に気付く人と気付かない人がいる。両者は一見僅差である。しかし結果は大差となる。
デジタル時代、AIで仕事が無くなる様な過大広告をよく見かける。例えば仕事の殆どがAIでカバーされ、仕事が無くなるなどということが、実しやかに言われている。しかしそんなことはあり得ない。何故なら、人や組織の抱える重要な問題は、かなり曖昧性があり、ある指針がAIから出たとしても、その根拠が示されないケースが多い。例えその答えが正しくとも、その論拠が曖昧だと経営判断や人の重要な決断には覚束ない。説得力に乏しいからだ。また、AIが学習する為の元データの信頼性の担保の方法が確立されていない。これは重大な問題で、間違った入力からは正しい答えは導き得ない。将棋の棋譜などは、勝敗付きの歴史的事実だが、その様な確定データの方がむしろ少なく、多くは曖昧性を含む。
従って、人が臨機応変に判断する仕事は無くならないのである。私どものコンサルティングの仕事も同様だ。それぞれ状況が違い、また変化に対応したコンサルティングを行う必要がある。また、顧客の言うことを鵜呑みにするのでは無く、その言葉の背後にある真意を汲み、半歩先の解決策で対応するのである。また現職の候補者に対しては、どの様なキャリアを踏んで何に貢献したいかを丁寧に聞き取り、良いチャンスがあればご紹介する。この様な一見曖昧な事に対するコンサルティングはAIも不得意である。しかも人には好みがあり、顧客のそれぞれの好みに合わせて対応するとなると、膨大なデータ収集と、その真偽の判断、それに基づくデータ入力によるラーニングと、かなり複雑なプログラミングが必要になってくるのである。私は決してAIを否定しているのではない。人の世の様々な判断は、もう少し複雑であり、必ずしもON.OFFで正しい事がまかり通るとは限らないという事である。
そう言う私も、時代の変遷の中でエグゼクティブサーチは「何か新しい」やり方を模索すべき、という想いに駆られていた時期があり、皆で散々議論を重ねたのものである。しかし、結論としては、当たり前な事を徹底しそれを継続する、という一見陳腐な結論に至った。
変わらぬ重要な仕事の一つに、「顧客に分かり易い価値を提供する」事がある。出来ればチームで対応出来る様に訓練する事だ。チームを育て顧客に継続性を担保する為である。顧客が期待する少し上級のサービスを創意工夫して、本当の意味での満足を勝ち取り、固定顧客にする事である。品質が劣化してしまわない様、情報やスキルのたゆまぬブラッシュアップが欠かせない。それを継続することである。これらは一見当たり前の事だ。しかし、これもイノベーションの一種と言える。
最近のイノベーションは、より速く、より便利にと、時間を節約するものが多い。しかし、人生にとって重要な事で人は「便利」を求めたりはしない。生き死にの問題、真理の追求、人としての道徳観や貢献、経営承継、弱きものへ寄り添うこと、生き甲斐の追及など、どれ一つとして便利とは程遠い。然るに、最近は便利に、より速く、という「時間を節約するもの」と、アンチエイジングで、如何に「時間を引き延ばすか?」に人は腐心している様に見える。全く大いなる矛盾である。節約した時間で何をやろうと言うのだろう?自然の摂理を曲げてでも若く見せて、どうすると言うのだろう?何故美しく老け、内面を磨く事に価値を置かないのだろう。
現代の本当に不思議なことの一つである。
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