「運命とは性格である。」と看破したのはかの芥川龍之介だが、60年以上も自分と付き合って来て、ああ、懲りないなと思うのは、事あるごとに第三者と対峙してしまう自分の性格である。その結果として、今までのところ不運も幸運も半々だった。幼少期は腕白のいじめっ子と、学生時代は先輩と、就職後は上司や上級役員と対峙した。特に外資系日本支社の立場で、米国本社や役員達と対峙するには論理性と技術が必要だった。海外赴任の際には、英語が不自由などとは関係無く、自分の意見を如何なる時も簡潔に発言する必要があり、相手に馬鹿にされた場合には正当な反論を試みないと、Chickenと見做され次の会議には呼ばれない、という貴重な体験もした。
若い時分は、顧客の為に会社組織とぶつかるという大義名分もあったが、小さな組織の長となると、自分にとっての顧客(クライアントや候補者)と対峙することが多くなった。本来、顧客と対峙するになんて、と思われる方も多いだろう。自分で経営してみると、様々な局面で二者択一を迫られその結果責任を負う。これは考えてみれば当然のことなのだが、我々の相手にする大企業のサラリーマンとは大きく異なる。こういう要素も対峙しがちな傾向に繋がっている。「君子危うきに近寄らず」だけでは済まないことがある。大人気ないとも思う。社内の人間からも日々やんわりと窘められている。
世の中の大半のことは、解が一つではない。良い意味で優柔不断でなければならない。従って「そういう考え方もある」と受け流せば良いのである。わざわざエネルギーを費やして、対峙する必要などない、というスタンスも十分理解出来る。にも拘らず、生まれ育って来た「性格」に人の人生は影響される事が多々あるらしいのである。
・対峙する意味
一方で、我々の職業は、クライアントの企業成長や再生のサポート、また候補者のキャリア開発の為の機会を提供する。この際、クライアントへの価値提供に不遜な奢りを持つ候補者だったり、クライアントが候補者を受け入れ活かすのに怠慢だったり、ローカル支社の本社への交渉力が乏しく、それを言い訳にしているローカル経営者などを見ると、一言申し上げたくなる。相手の立場を配慮しすぎるアプローチだと、鈍感な相手には通じない。また、相手を本来の意味で巻き込んでゆく事は難しい。(これをInclusionと言ってLeadershipと同様に近年注目されている。)理解や納得を得るために、敢えてストレートにぶつかる羽目となる。この際にその会社のパワー構造理解し、当初からトップ層の信頼を得て置くのがポイントで、その前提がないと無暗に対峙してもあまり意味がない。対峙する際は確信犯としての冷静さが必要であり、感情的になるのは勿論タブーである。だがそれも限界はある。
そもそも素性もバックグラウンドも異なる個人同士が、あるテーマの解を真剣に探し求める際、ぶつかり合いはむしろ自然な現象である。異人種間では、議論を戦わせた後、お互いの違いが分かったと握手して別れるのである。日本は世界でも有数の僻地であり、日本の常識は世界の常識ではない。ただ異人種間でも同一族間でも、パワー構造に格差があると、自由闊達な議論が出来にくくなるので注意が必要だ。時代の変革期には、かつての勝者が明日の敗者になる可能性があるので、フェアに議論を尽くし本質に迫る必要がある。特に、既得権益が存在し、かつ揉みての部下に囲まれている経営陣を相手にするのは厄介である。然るべき準備と工夫がいる。この様な環境では、正当に対峙する仕組み(パワー構造)を構築しないと、組織改革などなかなか出来ないのである。
・アウトロー
私は我々のビジネスはアウトロー的な役割と認識している。通常のルール内だけでは片付かないものも含めて対応するという意味である。公募や正規の採用プロセスでは現職の優秀な候補者の採用は難しいので、専従で組織変革のサポートをトップマネジメントから依頼されている。従って、人の言いにくい事も敢えて発言し、結果的にクライアントと候補者の双方に価値貢献が出来ればそれで良いとも言える。勿論、失敗すると出入り禁止もあり得る。もしや、この様な発想それ自体が近頃話題となっている「おっさん的発想」なのかもしれない。
・対峙した後が大切
雨降って地固まる、為に対峙した後が大切である。言い過ぎた後、適時を狙って何らかの形で詫びを入れる。特に面前に第三者がいる状況での対峙は、「面前で恥をかかせた」という事実それのみで怒っている場合もある。ディスカッションは最低3名以上で行う為、面前での対峙になりやすい。注意が必要だ。
・争わない人々
一方で、決して上司やクライアントとは争わないという信条の方々も存在する。この方々には尊敬出来る方も多数存在する。このジャンルには二通りあり、一方はいざとなれば真剣を抜く、それまでしぶとく確信犯として穏やかにしている、また一方は、単に事なかれ主義でリーダーシップが無く、気力、体力、胆力が欠け、責任を取りたくない為に、相手と対峙する事を避けるタイプである。人口比率は前者が2割、後者が8割か?世の中とはそう言うものだ。確率的にこの8割のクライアント担当責任者に遭遇することが多いのが頭の痛い点である。また、何故2割の方々の存在に気付いたかと言うと、私が正面から対峙したからである。その中で、企業の成長や再生を、お互い「自分事」として議論を戦わせ、合意点を見出し、成功と挫折を繰り返して来た。彼らの多くは役職を問わずLeader達である。その方々とは不思議とその後のお付き合いも長くなっている。
・大きな矛盾
もし、マネジメントとしてのリーダーシップが無く志の低い顧客に、優秀な候補者をお世話したとしよう。この結果は双方unhappyになる事は容易に想像される。従って、我々は顧客からも候補者からも選ばれる立場でいながら、顧客と候補者を選ばざるを得ない状況となる。これは大いなる矛盾である。決して奢って言っているのではなく、その様な生業なのである。
・井戸端会議化
私共のオフィスは8割女性であり、例外なく顧客や候補者と対峙する事には反対だ。社内でも仲良くやりたいのである。勿論不必要に対峙する必要は無いが、ともすると井戸端会議化し、目前の問題のみを台所感覚でこなし、雇用の継続を当てにする様な組織に陥ってしまうリスクがある。特に時代の変革期には、目線を高く保つ必要があり、油断すると本質を見誤る。対峙そのものが「雨降って地固まる」ことに繋がる事もあること、或いは、志を持って相手と対峙する事の価値にもう少し理解を求めたいのだが、口では女性陣には敵わないのである。
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