海外に出ると、すれ違いさま少し触れ合ってもExcuse meと即座に声を掛け合う。気持ちの良いものだ。昔欧州を旅行した際、フランスのローカル線の車中で初老の美しいマダムと乗り合わせた。マダムはこちら側をみてニッコリと微笑んだのだが、そういう事に慣れていなかった私はドギマギしたものである。幾つかの国境に接し異文化の融合が当たり前の社会では、「ご機嫌よう、私はあなたの敵ではないですよ。」という最低限のマナーを守る風習があり、それが気持ち良く過ごす知恵であり、また身を守ることにも繋がるという事を知り、私はその慣習に感銘した。
さて、最近気になるのは、自己の反省を踏まえてだが、シニア世代はシニアで、ミドル世代はミドルで、ジュニア世代はジュニアで、日本人の各層での公共の面前でのマネーが劣化しており、それが加速しているという事だ。「他人様にご迷惑を掛けない為の最低限のマナーは守る」のは公共ての基本である筈だが、酒に酔った者同士ならまだ少しは理解は出来るが、双方シラフの状態での暴言、暴挙が散見される。通勤の満員電車は常習場所であり、週末のスーパーのレジ待ちなどでもよく見かける。全て、大勢の人々が見ている公共の面前でである。私の海外駐在時代に、黒人に対する差別用語を使った警察官が黒人少年に銃で射殺され、黒人社会が少年をかばい少年を隠匿してしまった事件があった。公共の面前での侮辱行為は死に繋がる意識が海外にはあり、それはそれで問題だが、最近の日本人の身も知らない他人様に対する容赦のない暴言を見ていると、同質文化特有の甘えと日本人が日頃蓄積していふ暗いストレスの双方を感じ取り、非常に危うい印象を受ける。
この日本人の変化はどういう理由なのか?自分の勤める会社関係者、スマホで繋がる友人や家族、それ以外は関係ないという意識が非常に強い。閉じた世界に引きこもる子供と同様である。他人同士の攻撃性も異常だが、その場に居合わせた人々も我関せず、危うきに近寄らずという態度が露骨で皆知らん顔である。先日知人の初老のご婦人が、銀座の路上で正面からバッタリと転んでしまった。皆、やはり知らん顔で、結局助けてくれたのは旅行中の外人だった。笑えない話である。それでいて日本人は困っている外人対しては結構優しいという特質がある。また、外人からの命令はよく聞くのである。語学のコンプレックスの名残かも知れないが、グローバルから見ると、何か気持ちの悪い人種に映るかも知れない。
当たり前のことだが、公共の面前では「しゃんと」していなければならない。よく周りを注意して見る必要がある。何故なら、加害者からの防御も勿論あるが、困った人がいたら、即出動し助け合う為である。これが持ちつ持たれつの民主社会の基本である。私は決して外国礼賛でも何でもないが、海外に出ると、乗り物の中で少年少女達が老人を見るや否や即座に席を譲るキビキビとした光景を何度も見かけたものである。歩きスマホでヘッドホンを付けて無防備に歩く若者が増えているが、痛い目に合わないと分からない、というのは哀しい。公共の面前では、各人それぞれの役割がある。忙しさにかまけて余裕が無くなっている時の自分を含め、自戒したいものである。
最近のコメント