似た響きを持つ言葉である。
「貸借勘定」は、良い人間関係を持続させるために大変重要な感覚だ。「損得勘定」は、こればかりでは少し憚かられる。最近、これを前面に押し出して生きている様な人がいて、少し気にかかる。前者、後者とも、似た響きなのに正反対のニュアンスがあり興味深い。
「貸借(かしかり)勘定」の良いバランスには、感覚を日頃研ぎ澄ますこと、また時に果敢な行動力が要求される。金銭問題に関わらず、である。人かどの人物には皆、備わった資質の様に見える。そのバランスを耐えずチェックし、崩れかかるや、素早くリカバリーにかかる。達人達のその応酬は格闘技のようだ。応酬の内容は様々である。創意工夫やセンスが問われるのだが、これは送り手、受け手双方が響き合うのが理想だ。
弊社の社員が大手航空会社の社長秘書時代に、当時の大臣、塩川正十郎氏が社長に宛てた自筆のお礼の手紙を持っていた。太く堂々とした達筆で、簡潔ながら、細やかでおおらかな氏の包容力を彷彿させるものであった。立場上、あまり細かくは書けないが、気持ちの籠った味のある短文であり、なるほどと感銘を受けた記憶がある。
応酬には、挨拶のやり取りや返礼の様な軽いものから、外交交渉や複雑な人間関係を伴う微妙な機微への対応に至るまで、その奥行きは広く深い。受け手はその時々の「重さ」に相応しい対応をせねばならない。これが難しい。意識的な訓練が必要な所以である。それは、人の品格の形成や、ひいては国家としてのアイデンティティにも深く繋がっている。
ただ、余りに拘りが強すぎると、キリキリしてしまう。全体的には望洋としていて、肝心なポイントのみ素早く行動でき、出来れば心が籠ってるのが望ましい。
何故、貸し借りのバランス感覚がそれ程大切なのだろうか?まずは、この人とは「永く付き合える」と認知してもらうことが一つ。ビジネスにせよプライベートにせよ、である。本質的には、相手を最大限尊重しつつ、自立して「精神の自由」を獲得するためではないかと私は考えている。
相手との関係性をNeutralに維持しておくのは、思いのほか難しい。何故なら、人は自分のしたことには過大評価、他人からされたことに関しては、過小評価しがちだからである。従って、バランスをとるためには、自分のしてあげたことは忘れ、されたことはしつこく覚えているくらいが丁度よい。
まず身の廻りの些細なことから、バランスをチェックしてみると分かりやすい。実は私もリカバリーすべきことが山積なのである。
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