このビジネス25周年に当たり、過去にお世話になった方々へのお礼をしたいという主旨で人脈リストを整理し、ふと考える事があった。良い成功体験となったものもその逆もあるが、その結果に拘わらず会って置きたい人々はいるものだ。結果は良かったが敢えて会わない人々も存在する。決して上目線で言っているのでは無い。人には成功も挫折も必要だが、その人の人生にとって意義深いもので無かったなあ、と思える人材には再びこちらからご縁を紡ぐことをしない傾向がある。こちらから人のご縁を結ぶ色彩の強い我々のビジネスでも、それが本当の「出会い」なのかどうかは、後になってしみじみと感ずることかと思う。
そこで思い出したのが、過去10年程前にブログで扱った宮本輝氏の「命の器」というエッセイである。原文より抜粋する。
「運の悪い人は、運の悪い人と出会って繋がり合ってゆく。やくざのもとにはやくざが集まり、偏屈な人は偏屈な人と親しんでゆく。心根の清らかな人は心根の清らかな人と、山師は山師と出会いそして繋がってゆく。じつに不思議なことだと思う。それは事業家にも言える。伸びてゆく人は、知らず知らずのうちに落ちてゆく人と疎遠になり、いつの間にか自分と同じ伸びてゆく人と交わってゆく。企んでそうなるのではなく、知らぬ間にそうなってしまうのである。抗っても抗っても、自分という「人間の核を成すものを共有している」人間としか結びついてゆかない。その恐さ、その不思議さ、私は最近、やっとこの人間社会に存在する数ある法則の中の一つに気付いた。「出会い」とは、決して偶然ではないのだ。でなければどうして、「出会い」がひとりの人間の転機となりえよう。どんな人と出会うかは、その人の「命の器」次第なのだ。」
再びこの名エッセイに出会い、改めて自戒と共にこの25年間のビジネス人生を振り返ることとなった。
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