候補者側とクライアント側の「二つの観点」から、「キャリア形成(人材育成)」と「転職(人材採用)」を見てみようと思う。何か違う・・・と小職は日頃から感じている。何故すれ違っているのか、その真相は判らないが、両者にはかなりのギャップがありそうである。「自己の成長」と「会社の存続・成長」は、高度成長時代には同期が取れている様だったものの、低成長となり時代の変換期の現代では、そのギャップは益々開くような気がするのである。私見では、企業内の人材育成はいま修羅場を迎えている。
まず、候補者側からの視点から・・・。
最近つくづく思うのだが、やはり、転職歴の多すぎるのはやはり重大な問題である。何故ならそれはキャリア形成に致命的な痛手を与えるのではないか、と思うからだ。それは、仕事の専門性を追求し続ける事が、次のキャリアの広がりに繋がることと深く関連している。ある仕事の塊を起案し、組織化し、実行して、レビューするというのは最低3年はかかるだろう。例えば、3年以内の転職は、一つ一つの土台が形成されないうちに転職することになるため、すべてが中途半端となってしまう。昔は、若い人々を企業がOJTで育て、「有能なビジネスマン」に育てると同時に、「立派な社会人」として世に送り出す、という文化が日本にはあった筈なのだ。最近、大企業でさえめっきりとその傾向が無くなって来ていると聞く。骨のある上司が少なくなり、また我慢してそれを聞ける部下も減っている。そればかりか、まともに励んでいる若人に対し、所詮世の中は…というような厭世観や、後ろ向きな毒ガスを吹き込んでしまう、という上司もちらほら見聞きする。残念な事である。
自己の成長という「自分起点の発想」から、世の中の要請に従って「仕事」が先に存在し、自分はそれをサポートしている一員に過ぎない、という「仕事起点の発想」への転換は実に大切なキーポイントである。「自分が仕事を選ぶのでは無く、仕事が自分を選び、鍛える」のである。そうした姿勢が結果的に自分を大きく成長させるという逆説的な言い方も出来る。しかしながら、良き指導者(メンター)がいないと、凡人にはなかなか出来にくい発想かと思う。だから「適職がない」と人は奔走する。最近では、入社3年目でかなりの確率の若者が転職するらしい。まだ、何物にもなっていない未完成な社会人が、「自分探し」をしてもどうかと思う。但し、転職がかならずしも悪い訳ではないのだ。ある重要なタイミングまでは転職するのはもったいないという話である。その理由は次の通りである。
過去の様々の事例をみてみると、40台、50台で大きく活躍される方々は、20歳台後半から30歳中盤~後半までに、厳しいながら大変良いプロジェクトにアサインされ、掛け替えのない経験、キャリアを積んでいる事に気付く。その結果、成功、不成功は別としても、ある仕事を成し遂げ、そこから貴重な経験と自信を身につけてゆく。ほぼ例外がない。「人生の土台骨」の様な体験である。これはコロンブスの卵の様な話であるが、そうなのである。これは、この時期にコア・スキルというものを学び、それを様々な修羅場で試し、失敗や成功によりそれを「自分のスタイル」に昇華してゆくという、非常に大切なプロセスを通過する。「人のマネジメント・スタイル」「本質的な問題を見抜く力」「総合的に段取りする力」「仮説を立て検証してゆく姿勢」「苦しい時に発揮すべきリーダーシップ」などがこれに該当する。これらのスキルはまさに「人生の土台骨」であり、一生ものなのである。従って、この時期(20歳台後半から30歳中盤~後半)に何社も転職する事は大変不幸なことだ。但し、どんな優秀な方であっても、そういうプロジェクトをアサインされなければ体験出来ない。人は「自分で育つ部分」と、「育てられる部分」があるが、この決定的な時期での人の成長は後者の要素が特に強い。ある「環境が人を育てる」のである。
一方で、既にブランドのある大企業に入社して25年一貫して勤続して、全く転職の経験が無い・・・というのも、今では特に誇れるものでは無い。昔、某老舗家電メーカーのシニア人材に会い、その方の強みを聞いたところ、「グループ子会社を含めたその会社内の人脈」と答えられ、唖然とした事がある。それは確かに価値であるかも知れないが、会社の外に出たら全く通用しないものである。このグローバルにダイナミックに変化しているビジネス環境の中で、自分のキャリアやスキルを全く違った土壌で試し、やはり通用するものと、修正を加えなければならないものとがある事に気付く。土台骨の部分が通用するものであれば、その方は違う環境でも通用し得るもの(Carrying Skill)を努力して獲得して来たのである。但し、「外でやはり通用した・・・」という事実で持って、その方のスキルはProven(証明されたもの)になるのは、いまや全世界で共通の認識である。このProvenなスキルをどれだけ持てるかで、どれだけ外で戦えるかが予想できるのである。従って、一度も外を体験していないという事は、「実力はあってもProvenでは無い」、という事になる。大変真面目で会社へのロイヤリティが高い方々の中には、よい歳をして「自分がいなければ会社は潰れてしまう」という様な妄想を密かに抱いていらっしゃる方も多い。しかし、よくよく考えてみると、その様な事はないのである。
さて、企業側からの求人事情に視点を移してみると・・・
会社という「生き物」は自身のサバイバルの為には手段を選ばないのが普通だ。すべての人々に平等に機会を与えるなどという事は到底不可能である。従って、いくらロイヤリティを持っていても、いきなりリストラ通知が来たり、窓際に追いやられる事も日常茶飯事かと思う。個人のキャリアに対する運不運について、会社という生き物は実に冷酷である。会社組織にとって、ある一定年齢に達すると、社員の「個人のキャリア形成」に関しては一般的に関心が薄くなる。ましてや個人の年齢的な旬な時期に適職を与えるという事に関しては、個人にとっては大変重要であるが、会社にとっては、そこまでは考慮していられないのである。例えば、ある専門職で卓抜な能力を発揮する方が、ゼネラル・マネジメントに興味を持ち、次のステップに進みたいと思っても、彼の専門スキルの企業への貢献度が高いとなかなか異動させられない、という現実がある。従って、自身のキャリア形成にとってクリティカルなタイミングで適職を与えられる方は、大変幸運と思わねばならないと同時に、適切なタイミングで残念ながら与えられない、というケースの方が実は多いのだ。・・・
実はここに、「適宜に自身の市場価値を世に問う」、という行動に妥当性が与えられる理由がある。何故なら、「心、技、体」が三拍子揃った時期というのは、チャレンジには最適なタイミングであるが、人生の中では限られており、(一般的には、35歳~45歳の10年間だと言われている。)その時々のオポチュニティの数は有限である。良い案件が良いタイミングで雷の様に自分に振ってくるとは限らないのだ。残念ながら・・・(笑) だからこそ、適宜に自分から市場価値をチェックして置く必要がある。この点について、多くの日本人は不思議なほど楽観的で鷹揚であり、時に鈍重である。これにはいつも我々は驚かされる。
即戦力な人材を外から雇い入れるのは、自社では育成しえなかった能力を、ささやかな一時費用を負担することで、補充しようとする試みである。長い教育投資という時間と労力をねぐって、企業の新たな成長に活力を与えようとする、考えてみれば虫のいい話である。日本では永らく人材は育てるものという意識が強く、上手く人を育てるコツを捉えることは、マネジメントの必須要件だった。しかし外部環境の変化に人材育成のスピードが追いつかない、と思うや否や、いとも簡単に人材育成を放棄し、金で解決するという短絡的な方向に転換する企業が続出した様に思う。
今後のグローバル競争に対応し先んじる為には、優秀で海外でのビジネスを拡大する能力を持つ人材が必要である。しかしほとんどの国産グローバル企業は、国内市場がある市場規模があった事に甘んじて、まず国内で成功してから次にグローバル市場へ移行してゆくという2段階の手順を踏んだ。実は、これが致命的で、本来の意味でのグローバル企業としてのインフラシステム、言語、合意形成及び意志決定プロセス、企業のガバナンス、グローバルに衆智を集める文化、などが欠落し、腰を据えてその国に骨を埋める覚悟で海外展開を進めた企業は希少で、言わば海外に拠点があることをもってグローバル化を自認した。すべて後手後手で対応を余儀なくされることになってしまったのである。結果、国産グローバル企業には、グローバル人材を引きつける魅力が薄く、また、彼らを使いこなせる経営陣が圧倒的に不足しているという二重苦に突き当たってしまった。外資系企業をM&Aで買収した国産グローバル企業の人事のドタバタをみると、その混迷ぶりは顕著である。私見では、今後紆余曲折はあれど、国産グローバル企業では、国籍を問わない求人が今後増えて行くと予想している。そうなると、実力はあれどグローバル感覚の無い日本人人材にとっては、どう存在感を示すか、なかなか難しい時代が到来する。
以上の様に、二つの視点の間にはまだまだギャップがあり、それを埋めるのも我々の本来的な仕事ではあると思う。日本は、今、様々な意味での構造転換が必要で、過当競争を強いられる製品やサービスはグローバルでは競争力が弱まり、韓国や中国の圧倒的な価格破壊の前に敗れ始めている。日本や米国は、もっと視点を上げるべきだ。本来、その先の「明日の世界をリードするビジネスを創造する」というコアな部分にもっとフォーカスし、リーダーシップを持って世界の叡智を結集し、結果として社会にイノベーションを起こして行く企業の登場を待ちたいし、また出来るのではないかと思う。これからの10年が日本及び日本人にとって「試される期間」であると思う。「明日の日本を創る」あるいは世界から一目を置かれるユニークな「日本発グローバル」なビジネスモデルを持つ成長企業が続々と現れ、その立役者としてのトップ人材のサポートに、我々は大忙し・・・という大変愉快な近未来を想像して、この仕事を続けてみようと思う。
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